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山の効能

山と感覚

山の効能

鈴木優香

山岳収集家

鈴木優香


忙しさの山場を越えたあとに体調を崩してから、しばらくどんよりした日々が続いていた。なんだかよくわからないけど、調子が悪い。それは大抵、山が足りていない合図。運動不足は心の軽やかさを奪い、妙に深刻な思考を招く。そういえば、昨年末に撮影の仕事で佐賀の山に登って以来、山に行っていなかった。とりあえず近場の山へ行こう。そろそろ花も咲き始めるころだ。そうして、高尾山口から草戸山、城山湖を経てかたくりの里へ向かうことに決めたのだった。

高尾山口駅のホームに降り立つと、爽やかな森の香りが春風に乗ってやってきた。駅を出て道路沿いを行き、蝋梅の咲く民家の脇を抜けると、すぐに山道が始まる。久しぶりの山。濡れた土のにおいと、森に差し込む朝の光が懐かしかった。街では暖かい日が続いて浮かれていたが、森の中はまだ冷える。けれど、少し登ればすぐに体は温まる。踏み出す脚で体を押し上げる感覚。一歩、また一歩。鈍った体はかなり重い。

山に入ったからといって、すぐに頭が切り替わるわけではない。はじめはいつものように、ぐるぐると考えごとをしながら歩いていく。しばらくすると、その思考の渦を外側から眺めているように感じるときが訪れる。最終的には、その思考の渦はどこかへ消え去り、過去でも未来でもない、まさにその瞬間に見えたものや感じたものだけが残るのだ。森がきれいだとか、風が気持ちいいとか、太陽が温かいとか、脚が疲れてきたとか。そうなれば、もう大丈夫。歩くたびに、少しずつ心が軽くなっていくのがわかった。

かたくりの里では福寿草と節分草が満開で、嬉しくなって写真をたくさん撮った。花を求めてやってきた人たちは皆、満足そうに笑っている。言葉は交わさなくても、自然と気持ちが通じ合う。これから、各地の山では春の花が次々と咲く。桜だってきっとすぐに咲いてしまうだろう。久しぶりに山を歩き、すっかり上機嫌になった私は、早くも次の山行の計画を立て始めるのだった。


わたしの素

「ああ、山に行きたい」。1年前の春、友人がSNS上で誰に宛てるでもなく呟いたことがあった。その文面からはいつもより切実な感じが見て取れて、思わずメッセージを送った。「明日、箱根の浅間山に行くけど、一緒にどう?」。私もちょうど、山が足りないと思っていたころだった。あまりに唐突な誘いだろうかと迷ったけれど、友人からはすぐに「行きたい!」と返事があってほっとした。それから待ち合わせ場所と時間、お昼は私が用意する旨を伝えて、会話を閉じた。

翌朝。友人と会うなり、毎日自宅にこもって仕事ばかりしていて、息が詰まってどうしようもないのだと聞かされた。その気持ちは痛いほどわかるので、私は深く頷き、彼女の言葉を受け止めた。こんなときは、山を歩くに限るのだ。

箱根登山鉄道の小涌谷駅で下車して、住宅街を抜け、杉林の中を歩いていくと、あっという間に浅間山の山頂に着いた。そこは広い芝生になっていて、花を咲かせた桜の木があちこちに立っていた。私たちは「まるで楽園のようだね」と笑い合い、しばしその景色を味わった。

お昼には冷凍の鍋焼きうどんを用意していた。アルミの鍋ごとバーナーの火にかけて、できあがるまでのあいだに近況報告をしながら、のんびりと待った。10分、15分、20分。けれど、鍋は一向に沸騰しない。この日は暖かいが風が強く、鍋に熱がうまく伝わらなかったのだった。そのうちガスが切れてしまい、うどんはぬるいまま。ほんとうは熱々が食べたかったけれど、「まあ、春だからいいよね」というよくわからないことを言いながら食べた。

その先に待っていたのは、どこまでも続くゆるやかな下り道。それはふたりが並べるくらいの広さがあって、とりとめのない話をしながら歩くのにぴったりだった。この山にしてよかった。この日に来られてよかった。きっと友人もそう思っていたに違いない。桜並木の下には絶えず花びらが舞い落ちて、青い芝生の上に描かれたピンクの水玉模様が、きれいだった。

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山と感覚の扉

鈴木優香

山岳収集家

鈴木優香

山は日常にはない美しい瞬間を与えてくれる場所と語る鈴木優香さんと、彼女らしさの素をつくる山登りとともにある食事。

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