陶芸家|吉田 直嗣

創作の哲学
オイシサノトビラ
吉田さんは、作家としてご自身が作った器をこういうふうに使ってほしいとか、こういうふうに感じてほしいと思われることはあるのでしょうか。
吉田
そういう気持ちはないんですよね。最初は作品の用途を伝えた方がいいかなと思ったのですが、結局そうやって伝えた用途は僕の考えや想像の範疇でしかないと気付いたんです。器を手に取ってくれるみなさんにお任せした方がおもしろいことが起きるはずだし、僕の想定の何倍も素敵な使い方してくれるはずだと考えています。
美しい器には、どんなものを盛り付けても新たな価値を生み出せる力があると確信しています。たとえば、スーパーやコンビニのお惣菜も美しい器に盛り付ければ、それだけで〝食糧〟から〝料理〟に変わります。このチカラを信じているので、なおのことみなさんの好きなように使ってもらいたいんですよね。
オイシサノトビラ
その「美しさ」はどのように生み出されるのですか。
吉田
ろくろで器を作るという行為は一瞬のきらめきのようなもので、時間を巻き戻して元の形に戻すことはできません。その不可逆性やひとつひとつの違いの中にこそ「美しさ」があると思うんです。ちなみに、展示に同じ形の器を持っていくことはほとんどありません。器には量産タイプの数ものと一点ものがあるわけですが、一点ものしか作らないようにしています。良し悪しは別にして、まったく同じ形の器が並んでいると、僕自身、ちょっと苦しい気持ちになってしまうんです。
オイシサノトビラ
すべての器が、その時その瞬間の吉田さんにしか生み出せない作品なのですね。そうなると愛着が湧いて、手放すのが惜しくなりませんか。
吉田
そうでもなくて、焼き上がった瞬間に満足しちゃうんですよね。それに常に変化を楽しんでいるので、自分が作った器を手元に残しておこうとは思いませんし、いつも明日はもっと良い器ができると思いながら創作に取り組んでいます。あと、在庫があると次の展示が成り立ってしまい、ついついさぼってしまうので、できるだけ早く手放して、急かされるように器作りに励みたい。自分にはまだ伸びしろがあると思っているので、もっと作ってもっとうまくなりたいんですよね。
もっとも、「うまくなる」というのは職人的な技巧のことではありません。職人は、決まった形を同じように作り上げる技巧を磨きますよね。作家は、自分の内面にあるさまざまな想いをより正確にアウトプットすることを目指すんです。作家の方が手先と脳がより近接しているようなイメージという感じでしょうか。僕は自分の内面をアウトプットすることを「圧縮」と表現しているのですが、これは直感的なことのようでいて、その反復によって錬度が上がっていくものでもあるんです。これはある意味、寿司屋の大将の〝仕事〟に近いものかもしれません。寿司を握る数秒の〝仕事〟にはテクニックだけでなく、大将の哲学をはじめとしたさまざまな想いが圧縮されているわけですから。だからこそ、素晴らしい器や寿司には、そのシンプルな見栄え以上の奥深さや味わいがあると考えています。



メッセージ