本と生き方
ミモザ、連なる言葉、その断片。
「コトゴトブックス」店主
木村綾子
友人のメグに誘われてミモザのお裾分けをもらいに行く。
彼女がいま住んでいる家に越してきた頃、庭に植えた小さなミモザはこの10年でぐんぐん繁茂し、いまではベランダを侵食する勢いだ。
「今年も見事に咲いたねぇ」と見上げていると、高枝切りバサミを持ってメグが来て、枝ごといった。ばさりばさりと枝を切り落としていく様がかっこよくて、毎年恒例行事であるのに、いつだって新鮮に笑ってしまう。お裾分けにしては気前が良すぎるのだ。
だけど私は知っている。この木がこんなに繁茂するようになったのは、愛犬の骨を木の近くに埋めて以降だということを。あるときメグがこっそり教えてくれたのだった。
メグと並んで今度は一緒に、ミモザを見上げる。鮮やかな黄の先に広がる空が、ほんのり白濁しているように見える。
〈忘れているわけではないよ、と言いたそうな青空です。〉
東直子の詩集にこんな言葉があったことを、ふと思い出す。


切り分けてもらったミモザは、花束のように紙では到底つつみきれないから、ポリ袋に押し込んで、抱えて持ち帰る。家までは、電車をふたつ乗り継がなければならない。当然、注目の的になる。なんたって私の体より大きいのだ。申し訳なさも一緒に抱えて電車に乗り込むと、意外にも皆優しい。ミモザ分の空間を分けてくれる。
〈花束を抱えて乗ってきた人のためにみんなでつくる空間〉
また、言葉が降ってくる。歌人・木下龍也の短歌だ。
しばらくすると、「ねえ見てママ」と声がする。「すごいねぇ」「あれ何?」「お花。ミモザっていうんだよ」「いっぱ〜い」「いっぱいだねぇ。買うと高いんだよ」「…へえ」
ミモザに隠れて声の主は分からなかった。が、おそらくはまだ貨幣価値も分からないほど幼い子が、ミモザは買うと高いという知見を得てしまった。「へえ」の声だけ妙にクールで、車中に笑いが起きている。前後左右の人たちが、もう半歩ずつ、空間を分けてくれる。すみません。白状します。買うと高いこのミモザ、私は毎年タダでもらっているんです。
押しつぶしてしまわない程度にミモザを抱き寄せる。降車駅まで、あと3駅。

春と詩歌は相性が良い。草花につられて心も芽吹くのか、目にしたものや聞いたこと、肌や舌や鼻で感じたことを言葉で捉えたい欲が高まるのが、この季節だ。
感じ取ったそばからさらさらと韻文でも拵えられたら最高なのだけど、あいにく私にその才はない。だからその代わりに、思い出せる詩歌や小説の一節があるのは喜びだし、開きたくなる歌集があるのも、どんなに頼もしいか知れない。


『花のうた』は、100人の歌人がうたった〈花〉の短歌100首を集めたアンソロジーだ。 先に挙げた木下龍也の歌の他、東直子、穂村弘、雪舟えま、林あまり、くどうれいん、大森静佳、岡本真帆、枡野浩一、馬場めぐみ、睦月都など同時代を生きる歌人が、31音で花のある景色を捉えている。 いくつか心に留まった歌を紹介したい。
「はなびら」と点字をなぞる ああ、これは桜の可能性が大きい 笹井宏之
好きな人が幸福である嬉しさよ全ての四季の花が香って 中村森
桜舞う森でピースで立ったまま散るな笑うな 最終回かよ 上坂あゆ美
白つつじは忘却の果て 人生で最初に選んだプレゼントは何 北谷雪
スクランブルエッグとぼくらが呼んでいる木香薔薇がなだれるところ 堀静香
南天は花をつけつついないとはいないところにいるということ 土岐友浩
「ねえ、これは藤棚だよね?」と上を指しそのころに会う約束 淡い 小俵鱚太
人類各位 地球最後の日になりました。花かんむりをつけてください。 太田垣百合子
自分こそ誰かの記憶かもしれず椿の奥に講堂がある 小島なお
わたしの素

ミモザ色のお皿に、春を盛った。春を待ちわびるくらいに好きな食材、菜の花とホタルイカを使って、ペペロンチーノを作った。
理由は単純。『花のうた』を捲っていたら、〈菜の花を食べて胸から花の咲くようにすなおな身体だったら〉という山階基の歌が目に留まり、たまらなく食べたくなったのだった。
ミモザと花のうたが、菜の花とホタルイカを食卓に連れてきてくれた。しかしここで連想は終わらない。食べていたらもうひとつ、記憶が呼び覚まされた。
いつだったかメグが作ってくれた、ホタルイカともろみ味噌和えだ。これが絶品で、日本酒でちびちびといつまでもやっていて、おおいに酔った。
あれもまた春の日で、部屋にはミモザもあった。



連載
本と生き方の扉
「コトゴトブックス」店主
木村綾子
世の中の事や人の事を想い、本と人をつないでいく木村綾子さんと、彼女らしさの素をつくる、本から影響を受けた食事。