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受験の日

本と生き方

受験の日

木村綾子

「コトゴトブックス」店主

木村綾子

起きてスマホを見ると一通のLINEが届いていて、見ると友人からだった。2月1日、朝のことだ。
「今日娘の中学受験本番なんだけど。お昼休みが13時から15時まで2時間もあってさ。その時間、娘と一緒にキムの家で過ごさせてもらってもいいかな?」
その受験校というのが、うちの近所だったのだ。
時計を見ると時刻はまだ朝の8時半。日曜で、私は幸い暇だった。「もちろんおいで〜」と歓迎したところ、10時にはドアホンが鳴り、息を切らせてまず母の方(友人)がやってきた。LINEでやりとりを重ねるうちに、受験が終わる17時まで近くで待機していなければならないことが分かったので、それならずっとうちにいなよと誘ったのだった。

私は子どもを持たないので、当然、受験生の親を経験したこともない。だから正直当初は、お受験ママの疑似体験ができるなんてちょっと楽しそう!程度にしか考えておらず、呑気に楽観的だった。けれどその浅はかさをのちに恥じることとなる。
いつもおおらかで明るくおしゃべりな友人の様子が、どう見てもおかしいのだ。お茶を出しても水ばかりをごくごく飲み、見たいと言っていたNetflixの番組を流しても、そわそわと落ち着きがない。ならばいっそ核心を突いた話を振った方がよかろうと、昨今のお受験事情について尋ねると、堰を切るように友人は話し始めたのだった。

実は小学2年の頃から中学受験に励んできて、今まさに受けているのが本命校であること。午前と午後に長い休憩があるのは、ただの昼休みではなく、午前に4科目受験があって、午後にまた別枠で2科目受験があって、その両方に挑戦するためだということ。それも今夜には合否が出て、2枠とも不合格であれば明日もまた2枠、再挑戦するつもりだということ(ちなみに全4枠を受験した者のみが、繰り上げ合格の対象になるらしい)(なにそのシステム!)。
多くの私立中学の入試は2月1日からの一週間に集中している。基本的にどの中学も前日23時59分、または当日朝までネット出願が可能なため、結果がダメでも落ち込んでいる暇はない。すぐ切り替えて次を探すことはできるが、日毎子どもは疲弊し、現実を突きつけられるたびに傷も増えていくだろう。それを鼓舞しながら平静を保つのが親の役目と分かっていつつも、実際始まってみると早々に心が折れそうだ。頑張る姿を応援したい。できることならなんでもしてあげたい。それなのに、なぜ最悪な想像ばかりしてしまうのか……。

(2月1日は晴れていたが、受験期間中にはこんな雪の日もあった。受験生の子も親も、本当にお疲れさまでした!)

気づけば時刻は昼前で、友人は子どもを迎えに出かけていった。じゃあその間、私の心中を巡っていたことといえば……「大変な日に同席してしまった!!!!」という反省と後悔の嵐だった。
なにがお受験ママの疑似体験だ。浅はかにも程がある。何が「ネトフリ何観たい〜?」だ。能天気なの? 大変そうだねと口ばかりで同情しつつ、私は何も分かっていなかった。ならば今これから私ができるのはただひとつ。これからこの家にやってくる戦士を、その束の間の休息を、最大限心地よく過ごしてもらうべく整えるまでだ。アロマを焚きハーブティーを用意し(安直)、自分の昼のことまで気が回っていなかったという友人のために餃子を焼いて(このところの私は餃子ばかり焼いてるな)、母娘の帰りを待った。

しかしながらやってきた友人の娘は意外にもあっけらかんとしていて、ソファにダイブし完全リラックス状態。ごはんも、自分のお弁当じゃなく私の作った餃子の方がいいとごねはじめ、箸を伸ばしてくる。いつもならどうぞどうぞと喜んで差し出すのだが、このとき既に私は中学受験の重大さを知ってしまった身。万が一腹を壊して午後の受験に響いたらと気が気でなく、心のなかで「どうかもうそれ以上食べないでくれ」と叫びつつ祈りつつ、止まらぬ箸をただ眺めているしかなかった。

休憩時間はたっぷり2時間あったので、午前の部で解いてきたばかりの入試問題も見せてもらった。国語の読解問題では、懐かしい物語と再会した。岡本かの子の短編小説「鮨」だ。

岡本かの子「鮨」は、東京の下町にある鮨屋「福ずし」を舞台に、店の看板娘・ともよと客との関係を描く。試験問題には、常連客のひとり・湊が、食べることが苦痛で仕方のなかった子ども時代を振り返りながら、母が自分の目の前で鮨を握ってくれた日のことを語るシーンが採用されていた。

このときの湊の心情として正しいものを選びなさい。作者の意図として間違っているものを選びなさい。問題を解きながら、私は次第に懐かしい苦しみと葛藤を思い出していた。
実は学生時代から国語の試験は得意ではなかったのだ。正解不正解があることを前提として物語と向き合うことはあまりに窮屈で、考えれば考えるほどに、答えはひとつじゃないように思えてしまって、正解なんて私が決めつけてはいけないような気がして鉛筆を持つ手が止まってしまった。そんな自分が今はものを書いていると思うと不思議で、でもだからこそ、ものを書いているようにも思えた。

わたしの素

翌2月2日。起きてスマホを見ると前日同様に友人からLINEが届いていて、見ると合格の知らせだった。晴れて第一志望校合格である。聞けば午前の部はあいにくの結果で、午後の部で合格を掴んだというではないか。ははーん、さては私の餃子が一役買ったな。とまたすぐ調子に乗る自分はやっぱり浅はかか。そして私が始めたのは──

久しぶりにお弁当を作りたくなったのだった。どこに行くでもないけれど、自分のために、お弁当を作ろうと思った。
ごはんを敷いて、冷凍ストックがあったタイ風鶏そぼろを解凍してのせる。おなますもゆで卵もブロッコリーも常備菜だし、彩りのレタスもトマトも、ないならないで本当は良かった。でも、空っぽのお弁当箱を前に、さてこの空間をどう演出してやろうと思うとき、そこにあるのは愛だ。それが他人に向かっていようと、自分に向かっていようと、有限の中に無限をイメージして、開けたときの喜びと、少しでも多くの栄養と、午後への活力を願いながらおこなう弁当作りは、もはや祈りに似ている。出来上がったお弁当を眺めつつ、友人のことをまた少し思った。

在宅仕事の昼休み、お弁当を食べながら岡本かの子「鮨」を読み直した。設問のない物語のなかで、私はどこまでも自由だった。受験を終えたみんなも、のびのびとした読書を再開できていますように。

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木村綾子

「コトゴトブックス」店主

木村綾子

世の中の事や人の事を想い、本と人をつないでいく木村綾子さんと、彼女らしさの素をつくる、本から影響を受けた食事。

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