オムレツの味
25歳の頃、ぼくはパリにいた。お金もなかったし、これから何をして生きていくのかも、よくわかっていなかった。わかっていたのは、知らない場所へ行きたいということと、できるだけ長く旅を続けたいということくらいだった。
そんなぼくが、セーヌ川のほとりにあるシェイクスピア・アンド・カンパニーという書店に出会った。古い本が天井まで積まれ、小さな階段や狭い通路が入り組んでいる、不思議な店だった。世界中から若い旅人がやってきて、本を読み、話をし、ときには店の中に泊まりながら日々を過ごしていた。

ある日、ぼくも、ここに泊まっていいと言ってもらった。条件は、一日に一冊、本を読むこと。そして毎日二時間ほど、店の仕事を手伝うこと。ひとまず一ヶ月だった。どうしてぼくが選ばれたのかは、今でもよくわからない。ただ、遠い外国で、自分の居場所をひとつ与えてもらえたような気がして、うれしかった。
けれども、よく考えてみたら、共同生活というものが、ぼくにはどうしても合わないと思った。誰かがいつもそばにいて、誰かの話し声が聞こえ、眠るときまで人の気配がある。若かったくせに、ぼくはひとりでいる時間をずいぶん必要とする人間だった。だから結局、店に泊まることはせず、夜になると20区の安宿に帰った。

それでも、ぼくは毎日のように店に通った。そして、夜になると、みんなで簡単な夕食を囲んだ。それぞれが、どこから来たのか、これまでどんな旅をしてきたのか、これからどこへ行くのかを話した。インドから来た人がいれば、アメリカから来た人もいた。昨日までモロッコにいたという人もいれば、明日はロンドンへ向かうという人もいた。その話を聞いているだけで、世界はなんて広いのだろうと思った。
そんな仲間の中にリサという女性がいた。スペインからやってきた人だった。彼女は日本語を話すことができた。おかあさんが日本人なのだと教えてくれた。パリの古い書店で、スペインから来た女性と日本語で話している。それだけで、なんだか奇妙で、うれしかった。ぼくらはすぐに仲良くなった。

リサはよく笑う人だった。話をするとき、少しだけ首をかしげる癖があった。ぼくが変なことを言うと、「それ、日本人らしいね」と言って笑った。いつから恋人になったのかは、よく覚えていない。若い頃の恋というものは、たいていそういうものなのかもしれない。気がつけば、ぼくらはいつも一緒にいた。
週に一度、ぼくらは店の小さなキッチンでスパニッシュオムレツを作った。玉ねぎを薄く切り、じゃがいもは皮をむいて、5ミリほどの厚さに切る。小さなフライパンにオリーブオイルをたっぷり入れ、まず玉ねぎを弱火でゆっくり炒める。透き通って甘い香りがしてきたら、じゃがいもを加える。油で揚げるというより、やわらかく煮るような気持ちで、焦がさないように、ときどき木べらで返しながら火を通していく。
じゃがいもが簡単にくずれるくらいになったら、玉ねぎと一緒に水切りボウルへ上げ、余分な油を切る。大きなボウルに卵を割り、塩をひとつまみ入れて、白身を切るくらいに軽く混ぜる。そこへ、まだ温かいじゃがいもと玉ねぎを入れる。卵となじませてから、五分ほどそのまま置いておく。じゃがいもに卵がしみ込んでいく、その時間が大切だと、リサは言った。

フライパンに少しだけオリーブオイルを戻し、卵を流し入れる。最初だけ少し強い火にして、まわりが固まりはじめたら弱火にする。フライパンを揺らしながら丸く形を整え、表面がまだやわらかいうちに、大きな皿をかぶせる。「ここがいちばん大事」。そう言って、リサはフライパンと皿を両手でしっかり押さえ、一気にひっくり返した。
ひっくり返して、もう片面を焼く。外側はこんがりとしているけれど、中は少しやわらかい。じゃがいもの甘さと卵の匂いがして、塩味は驚くほど控えめだった。特別な料理ではない。けれども、ぼくにはそれが、パリで食べたどんな料理よりもおいしかった。
焼き上がると、ぼくらはそれを大きな皿にのせ、適当に切り分けた。まだ熱いうちに、フォークで少しずつ食べた。リサはいつも、最初のひと口を食べるぼくの顔を見ていた。
たぶん、おいしさというものは、味だけではないのだ。誰と作ったのか。どんな時間に食べたのか。そのとき、どんな気持ちだったのか。そういうものが全部一緒になって、ひとつの味になる。だから、同じ材料を使い、同じように作ったとしても、あのオムレツをもう一度食べることはできない。

ある日、リサは突然、店から姿を消した。前の日まで、何も変わった様子はなかった。いつものように話をして、いつものように笑って別れた。けれども翌日、店へ行くと、彼女はいなかった。
ぼく宛ての手紙が一通、残されていた。昔の恋人から連絡があったこと。彼に会いに行くこと。書いてあったのは、それだけだった。理由を知りたかった。なぜ何も言ってくれなかったのだろうと思った。ぼくより、その人のほうが大切だったのかとも思った。けれども、答えはどこにもなかった。
それからもしばらく、ぼくはシェイクスピア書店へ通った。夜になれば、旅人たちは同じように食卓を囲んだ。昨日までいた人が消え、新しい人がやってきた。みんな旅の途中だった。考えてみれば、リサもそうだったのだ。彼女はぼくのところへやってきたのではなく、自分の旅の途中で、たまたまぼくと出会った。そしてまた、どこかへ行った。
それでもぼくには、別れはつらかった。しばらくのあいだ、スパニッシュオムレツを見るだけで胸が痛んだ。卵とじゃがいもだけの料理なのに、おかしなものだと思う。

けれども今は、あの料理を思い出すと、悲しさより先に、おいしかったという記憶がやってくる。リサがいなくなったことよりも、二人で小さなキッチンに立ったこと。じゃがいもの皮をむいたこと。フライパンから立つ湯気。「まだだよ」と言って笑った彼女の顔。

恋は終わったけれど、おいしかったものの記憶は、不思議なくらい長く残る。失ったあとにも、残るものがある。ひとつの味だったり、ひとつの言葉だったり、その人と過ごした、なんでもない時間だったりする。
今でもスパニッシュオムレツを見ると、ときどき、あの小さなキッチンを思い出す。失恋の痛みは、もうほとんど覚えていない。けれども、あのオムレツがどんなにおいしかったかは、今でもよく覚えている。
