SENSATION/感触3
私も何かの風景や情景を追い求めているのだろうか、と麗さんと話しながらその感触をつかむように考えていた。もし追い求めているのなら、それはどんな風景なのかしら、と。それを思い描いて、「形」にするのって楽しいのかもしれないけど、やっぱり思考のどこかで「形」ではない何かが引っかかる。もしかしたら、私の思考の風景にはそもそも「形」がないのかもしれない。引っかかっているような感触になっているけど、「形」がないから引っかかっていることすら曖昧なのかもしれない。「風景という、ふわっとした感触はあるんだけどな」、と呟いてみても形はできない。
感触ってつかめないから面白い。はっきりしないところがありのままを許容してもらえているようで優しい。それに「だいたい一緒の感触」を共有して共感できていることが安心感につながっているのかもしれない。安心感、と書いてみたけど、「追い求める風景」にはやっぱり大切な要素な気がするから、私に追い求める風景があるのなら、結局のところは「安心感」の感触なのかもしれない。
でも、「安心感の感触」とはなんなのだろう。繰り返される「いつものあれ!」という定番というか、スタンダード/基準のような親近感なのかしら。
自分の思う安心感や親近感の感触を風景に落とし込んで想像する前に逆説的なことを想像してみる。
犯罪現場に残された私のガラス食器(凶器に使われたのか!?)の場面。怒りに満ちて粉々に砕かれたガラス食器なんかは、だいぶフィクションが強いけど、手を滑らせて割れたドリンキンググラスや食器を洗っている最中にぶつけてヒビが入ったワイングラスは現実的に想像しやすい。それを求めているかと言われてしまえばそんなことはないのかもしれないけど、そもそも、求めていないことだって想像はできるし、風景となる。自分にとっては分かりやすかったので、ガラス食器を想像してしまったけど、それ以外のことでも言えると思う。
それに、経験したことや疑似体験(読み聞きして想像したこと)が風景の感触となっているのかもしれないけど、感触と同じように強烈なものは匂いの感覚なのかもしれないとも思った。麗さんのインスタレーション/シーンにも美味しそうな匂いを想像したりする。
それぞれの季節を想像する時ですら、匂いの感覚が強めに付きまとう。
春を思うとき、春風と共に舞う砂埃の匂いを思い出す。スウェーデンでは、冬の間に路面が凍ってしまうので、滑らないように砂を撒く。その砂が雪解けの時期には道路脇にまとまり、乾燥し、春風がさらう。それが春の風景であり、春の匂いだ。夏といえば、太陽の熱に当たったライラックやエルダーフラワーのもわ〜んとしたへばりつくような甘い花の香りを思い出す。秋といえば、湿っぽい落ち葉を嗅いだ後に乗り込んだバスの暖房の匂いとのコンビネーションだし、冬といえば、キーンと冷えた空気の凍ったような匂いとそれと対極にあるホットワインの甘ったるいスパイスの匂いを思い出す。そう思うと風景には、匂いのような何か形にできない感触が潜んでいる気がしている。
どこかで読んだのか、誰かから聞いたのか忘れたけれど、匂い/臭覚はどうやら、五感の中でも一番長く記憶される感覚らしく、そして、特定の匂いによって、その時の感情や情景を鮮明に思い出させることができるらしい。なので、風景の感触を掴もうとするときに匂いを思ってしまうのはあながち間違ってない感覚なのかもしれない。
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