新しき世界
「このドラマが終わったら次はどうするんですか?」と『銀河の一票』の撮影の後半、よく聞かれた。その度に「終わったら絶対に休む。1ヶ月はのんびりする!」と大きな声で言い、実際にそのつもりでもあったのだが、そうは問屋が下さなかった。ドラマが終わってすぐに始まった、というか再開したのは、つい先日リリースした舞台『ずらかるやつら』の企画プロデュース仕事。
脚本家の坂元裕二さんとは2015年頃に知り合い、2017年にドラマ『カルテット』をご一緒させていただいた。当時はまだ右も左も分からない新米プロデューサーで、たくさんのご迷惑をおかけしながら必死でプロデューサーをやった。その後、定期的に食事をしながら「またドラマをご一緒したいです」と言い続けたのだが、そんな中でひょんなことから出た会話が「いつか松さんと舞台をご一緒したい」というものだった。たぶん『大豆田とわ子と三人の元夫』の企画より前、今から7年ぐらい前だろうか。ただその頃は、自分が舞台のプロデュースをするなんて全く考えられなかったので、いち観客として「それはもうぜひ見てみたいですね!」などと言っていた気がする。

それから年月が経ち、『大豆田〜』をご一緒した後、坂元さんのお仕事の仕方も色々変わり、なかなか地上波のドラマを再びご一緒するのは難しいかなあと思いながらも、性懲りもなく「またご一緒したいです!」と言い続けていると、松さんとの舞台の話が時を経て再び目の前に現れたのだった。もしかしたら今なら挑戦できるかもしれない、と、そこから舞台のプロデュース・製作をされてきた方に話を聞いてまわり、どこの誰に企画を持っていったらいいのか、どういうスケジュールで動くのか、劇場の特性、などなどを学んでいった。並行して、もし本当に舞台をやれるとしたらどんなお話がいいか、という雑談を坂元さんと重ね、こういうお話なら渋谷のPARCO劇場でぜひやりたい!となり、PARCOさんに企画を持ち込んだところ、まだ何も固まっていなかったのに、やりましょうとPARCOさんが言ってくださるという奇跡が起こった。そこから、松たか子さんにお手紙を書いてオファーし(これまでで最もハードルの高い出演交渉でした)、演出を岩松了さんにお願いしたいと思い、本多劇場の公演終わりにお手紙をお渡ししに伺い、松さんとのがっつりした共演を坂元さんの脚本で是非見たいと長年思い続けていた永山瑛太さんにもお手紙を書いてオファーし、とにかくお手紙に気持ちを書き連ねてお渡ししていたのが2024〜2025年。『銀河の一票』の脚本制作と並行して、坂元さん岩松さんと私の3人という私にとっては恐ろしすぎる雑談食事会を数ヶ月に一度開き、どんな方向性のお話にしようか、と話し続けた。

初めての舞台プロデュースなので自分なりに勉強しようと色々な舞台を見にいき、(無謀すぎるが)少しでも岩松さんの思考に近づこうと寝る前に必ず海外小説の短編、チェーホフやカフカ、カーヴァーなどを一編読んでから寝る、と決めて読みつづけたのだが、なんの下地もなく2歳児子育て中の疲弊した自分にはあまりにハードルが高く、本打ちで役に立つようなレベルには全くならなかった。もうこうなったら付け焼き刃じゃなく、今の自分でできることをやろうと切り替え、キャスティング、全体的なパッケージ感、自分が観客だったらどんな二人を見たいのか、などなど連ドラでやっていることの延長線で動きまわり、不慣れでパルコチームには散々な迷惑をかけながら、どうにかこうにかリリースまでこぎつけた次第だ。いやはや、企画・プロデューサーを名乗るには素人すぎて今後も迷惑をかけ続けるに違いなく、正直不安もたくさんある。初めての舞台、台本打ち合わせもやはり映像作品とは違って、気軽に回想シーンは入れられないし場面転換も工夫が必要だし、ついうっかり映像と同じような感覚で発言をしてしまい、しまった!と思うことも多い。でも同時に、ここの芝居を生で観られるんだ!という感慨とか、チャンネルを変えられてしまうことへの不安がないという面白さや難しさもある。何よりも全てが初めてのことなので、新人プロデューサーのような気持ちでチームの中にいられるのがとても新鮮で、毎日いろんなことが楽しい。もう忘れてしまった初心に戻った気がしている。
元々ひどい飽き性である、という自分の性質の影響もあるのだが、いつもどこか知らないところに身を置きたいなと思う。自分の組などなくてもいい。いつも初めましての余所者として、外様として、異邦人として、作品を制作する場をスタートさせたい、そんな気持ちが自分の中に確かにある。あと1ヶ月でいよいよ稽古がはじまる。どんな新しい景色が見られるだろうか、今から本当に楽しみだ。
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