

────2001年のデビュー以来、代表作を生み出し続ける作家の綿矢りささん。繊細で不器用な主人公に、思うままに我が道を行く主人公。作品で描かれるリアリティあふれる多様な女性たちの姿は、同世代を中心に多くの支持を集めている。そんな彼女がここ数年、熱視線を注ぐのが中国。入り口は、映画や文学などのカルチャーだった。
「北京を舞台にした『さらば、わが愛/覇王別姫』という映画や、ウォン・カーウァイ監督の作品が好きで、中国文化には以前から関心がありました。本格的に興味を持ったのは、数年ほど前から日本で活発に翻訳され始めた中国のネット小説を読むようになったことがきっかけです。同時に、日本語の漢字とは微妙に違う簡体字にも惹かれて、中国語の勉強も始めました」
ひとたび持った興味は、どんどん深め、広げていくのが彼女の流儀。現地のネットカルチャー、トレンド、インテリアなどさまざまな情報や文化を意欲的に吸収していった。そんな折、ご家族の仕事の都合で、2022年12月からの約半年間を北京で過ごすことに。そこでの体験はのちに、奔放な主人公が北京を豪快にエンジョイする小説『パッキパキ北京』のベースともなる。
「当時は、コロナ禍ながらも少しずつ街に賑わいが戻ってきていた時期。流行が目まぐるしく移り変わる街には特有の活気とエネルギッシュさがあって、それがすごく面白かった。小説でも、ガイドブックでは伝わらないような北京の今の空気感を表現したいなと考えました」
そして、2024年は上海へ。目的は、世界各国から集まった7人の作家が2ヵ月間上海に滞在し、上海の作家を含めて交流を深める、上海市作家協会主催の「上海ライティングプロジェクト」に参加すること。インタビューを行ったこの日も、綿矢さんは滞在の真っ只中だった。
「自由な時間も多く、観光も楽しんでいます。スケールの大きい歴史的な建物が点在する北京に比べて、上海は高い建物が立ち並ぶ都会的な街並み。行き交う人たちの装いも違っていて、中国の広さを日々改めて実感していますね」
「普段から食に強い情熱があるわけではないんですが、〟今、ここでしか食べられないもの〝に弱くて(笑)。上海でも、地元の人に聞いたり、小紅書という中国のSNSで調べたりしながら、その土地ならではの味を食べ歩いています」
なかでも食指が動くのは、古くからその土地で親しまれてきたローカルフード。特に地域性が色濃く出る麺料理は、真っ先にチェックする。
「北京は寒い土地なこともあってか、辛い味付けが多いイメージですが、上海は比較的甘めの味付けが多い印象。特に上海の麺では、上海蟹の味噌とほぐした身を炒めた餡を、麺に和えて食べる優しい味の蟹粉拌麺が印象に残りました」
また、映画やドラマに登場した食を求めて街へ繰り出すことも。カリッと揚げた豚バラ肉と餅を甘辛いタレで絡めた排骨年糕はその一つ。
「少し前に、90年代の上海を舞台にしたウォン・カーウァイ監督のドラマ『繁花』を夢中で観ていました。その中に出てきたのが排骨年糕。何軒か行ってみたところ、お店によってタレの味も提供されるスタイルも全く違う。店ごとの個性も、ローカルフードの面白さですね」
中国では、「嗅いだことのない香りや、感じたことのない味や食感と出会えるのが楽しい」と綿矢さん。「面白かったのは、酸っぱい筍と臭豆腐をトッピングした麺。酸っぱ臭いんですが、なぜかクセになりました」。ただ時には、思いがけない食体験をすることもあるそうで……。
「上海市作家協会の方々とレストランへ行った時、大皿で鶏肉料理が出てきました。おいしくてどんどん食べていたんですが、一瞬、食感に違和感を持ったんです。なんとなく異様にプルプルしているな、と。それが、よく見たら鶏のトサカで。口に入れてしまえば、案外吹っ切れましたね(笑)」
一方で、土地特有の食事のスタイルに倣うこともまた旅先ならでは。大人数で回転テーブルを囲む中華の定番形式の魅力にも気がついた。
「丸いテーブルだと、その場にいる人たち一人ひとりの姿がしっかり見えるんですよね。『あの人、この炒め物ばっかり食べているな』『あの人、この食材が苦手なんだな』『あの作家さん、お箸を使って謎の料理と格闘しているな』とか(笑)。そんな姿を見ていると、食事を共にしている相手により親しみを感じるし、自分の食欲も湧いてくる。何気ない食事の時間がより強く記憶に残るような気がしました」
中国のことは「また作品に書きたい」と綿矢さん。「今回の滞在で、食を筆頭に、一口に中国と言っても地域によって文化が全然違うと改めて分かりました。その違いを作品の種にしたいですね」。彼女の心に刻まれた〟おいしい記憶〝は、また新たな物語へ繋がっていくことだろう。
わたしの素
「朝にお茶を飲むことが日課になっています。京都で生まれ育ったこともあり、子供の頃からお茶には馴染みがあるんですが、習慣化したのは30歳を過ぎた頃から。全身が温まって何となく調子が整う気がします。日頃は少しスモーキーな香りのする日本のいり番茶や、以前に中国で買った龍井茶を好んで飲んでいて、今滞在中の上海では〈tea’stone〉という専門店に足を運んで、お店で楽しみました。中国全土でとれる茶葉が何十種類も並ぶ店内は、空間も茶器も伝統を生かしながらうまく現代的にアレンジされていて、すごく居心地が良かったです。お茶をお土産にすれば、家に帰ってからも旅先のことが思い出せるので、上海でもたくさん買って帰ろうと思います」