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クッキーは母の味、手の味

今日もていねいに。の扉

クッキーは母の味、手の味

「クッキーは嫌いだけど、クッキーを作るのは好き」とKさんは言って笑った。

クッキーはオランダの「koekje」という小さなケーキに由来があり、移住したオランダ人がアメリカで広めたとKさんは教えてくれた。

「どんなものにも歴史があるのよ。クッキーがアメリカで人気になったのは、1900年のはじめにナショナルビスケット社から、キリン、ライオン、カンガルーなど30種類の動物のかたちをしたビスケットが売り出されて、子どもたちに大人気になったのがきっかけよ」

いつもさりげなく雑学を教えてくれるKさん。「ナショナルビスケット社は、その後ナビスコという社名になったのよ。ナビスコは知ってるでしょ」Kさんは得意げにウインクした。

アメリカにおいてクッキー作りは、おばあちゃんから教わる料理のひとつだそうだ。レシピ通りに作れば、ほとんど失敗なくとても簡単で、みんなそれぞれの家の味(レシピ)があるというから興味深い。そしてまたクッキーは、たくさん焼いて人にプレゼントできるのがいいところ。

「今日はクッキーを焼きましょうか。レシピは、私のアメリカのおかあさんから教えてもらった正真正銘アメリカンカントリークッキーよ」そう言ってKさんはブラウスの袖をまくった。

カントリークッキーは、生地を作ったら、その生地を手で丸めてかたちを整えて、オーブンのトレーに並べていく。このときの生地を手で丸めるのが、日本でいうおにぎりと同じ感覚だった。

「おいしくなあれ」と思いながら、愛情こめて手の中で生地を丸める。そのひとつひとつをオーブントレーに並べるときも、丸くころんとした生地は焼くと平らになるから、隣の生地とくっつかないように注意深くスペースを空ける。そういう、ていねいさもおにぎりに似ていると思った。

Kさん、アメリカのクッキーは、日本のおにぎりみたいだね」
「その通り!アメリカのクッキーは母の味なのよ。たとえば、ごはんと塩だけをお皿に置いて、『今日のごはんよ』と言われたら、そんな悲しい料理ってないじゃない。けれども、それを手で丸めて、塩をつけたら塩むすびになって、立派なごちそうになる。これっておいしさの原点よね。これと同じで、小麦粉、砂糖、卵、バターをこねて、愛情こめて手で丸めて焼けば、とってもおいしいクッキーになる。このときの、こねて手で丸めるという時、愛情だけでなく、その場の空気も一緒に丸めるのがおいしさなの。わかる? おにぎりもクッキーも、愛情こめた手の味と、その時のあったかい空気の味がおいしさになるの」

Kさんと焼いたクッキーは、レーズンとクランベリー、くだいたピーカンナッツを生地に混ぜて、手のひらに置くとちょうどいい大きさで、中はしっとりやわらかな、まさにホームメイドなクッキーだった。30枚くらいは焼いただろうか。

「箱に詰めてお友だちにプレゼントしましょう。クッキーをあげるとアメリカ人はみんな喜ぶわよ。なぜならクッキーがどうやって作られるのかみんな知っているから。愛情こめて手で作るということを、みんなおばあちゃんやおかあさんに教わってるのよね」とKさんは言った。ぼくは近所のコーヒーショップのおじさんや、世話になっている老夫婦の顔を浮かべた。

おいしさって、作る人の愛情であり、自分の手で作って誰かに食べてもらいたいと思うしあわせでもある。

料理ってすてきだと思った。焼いたクッキーは最高においしかった。

つづく

わたしの素

アメリカで覚えた料理にバナナケーキがある。日曜日の朝、ニューヨークのヘルズキッチンの道端で年老いた女性が売っていたバナナケーキ。ぼくは一切れ買って帰り、宿の部屋で食べた。たしか1ドルだった。甘さ控えめでバナナの風味がたっぷりで、すごーくおいしくてびっくりした。もっと食べたい!と思い、ぼくは女性のところに急いで戻った。「おいしくて、もっと買いたくて戻ってきました」と伝えると、「すべて売れてしまったのよ。でも、そんなに食べたかったら、レシピを教えてあげるから自分で作ったらどう?」と女性は言った。女性はくしゃくしゃになったどこかの店のレシートを取り出して、その裏にレシピを書いて、「やってみて」とぼくに渡してくれた。あの日のレシピはまだぼくの手元にある。まったく同じおいしさには作れないけれど、バナナケーキを焼くたびに、あの頃のニューヨークの日々を思い出すしあわせがある。

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