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高山病とガーリックスープ

山と感覚の扉

高山病とガーリックスープ

1年に1度は海外の山に行きたいと思っていながら、今年も半分が過ぎようとしていることに気が付き、愕然としてしまった。仕事柄スケジュールの調整はしやすいが、締め切りのある仕事を優先していくと、個人的な旅の計画はどうしても後回しになってしまう。


アイスランド、キルギス、スイス。行きたい場所はいろいろとあるが、暇ができたら調べようと思っているうちに、あっという間に時間が過ぎていく。そんなとき唐突に、ヒマラヤに咲く高山植物を見てみたいと思い立った。こちらはなぜか、さくさくと調べものが進み、一面の花畑を見るならば7月が良いということがわかった。けれど、その月の下旬には写真展を控えている。貴重な準備期間を削ってしまうのは、どうなのだろう。山は逃げないし、花は毎年咲く。来年でも良いかもしれない。それでもやはり、今年でなければという気持ちが湧いてきて、ネパール行きの航空券を予約した。

ネパールには過去に3度訪れていて、山道の様子やロッジの雰囲気も知っているので、それほど気負いはない。今回はひとり旅だが、現地のツアー会社に依頼して、ガイドとポーターを手配してもらうことになっている。展示の準備に追われてバタバタと出国することになっても、なんとかなるだろう。

ネパールでは、乾季にあたる春と秋がトレッキングのシーズンで、どのエリアも多くのトレッカーで賑わう。(冬も晴天率は高いが、標高の高いエリアは寒すぎるので避ける人が多い。)反対に、雨季にあたる夏は雲が発生しやすくなり、ダイナミックな山の景色は期待できない。けれど、この季節にだけ見られるものがある。それが高山植物である。静かな山の中には、信じられないほどに多種多様な花が咲き乱れるらしい。

山を始めたばかりの頃、20代半ばの私は、登山道の脇にしゃがみ込んで花の撮影に熱中している人の気持ちがわからなかった。花以外にもきれいなものはたくさんあるのに、と思っていた。人と同じ被写体を追うのはおもしろくないという気持ちから、意識的に花以外のものに目を向けようとしていたのかもしれない。けれど、30代も後半にさしかかり、最近は山に咲く花が愛おしく思えて仕方がない。それは年齢を重ねたことによるものなのか、変な思い込みから解放されたからなのかはわからない。どちらにしても、それは私にとって良い変化だった。美しいと思えるものが増えるのは、素晴らしいことである。

今回の旅では、ランタン地方の山を歩く。首都のカトマンズからバスで6時間ほどの場所に位置する、シャブルベシという街から歩き出す。3日目には標高3,800mのキャンジンゴンパという村に着き、そこからさらに標高を上げて、高山帯に咲く花を探す計画を立てている。この記事が公開される頃、私は渡航準備の最中だろうか。それともすでにネパールに入り、まずはカトマンズの街をのんびりと巡っているかもしれない。どちらにしても、ヒマラヤに咲く花との出合いに心を躍らせているに違いない。

わたしの素

ネパールの国民食といえばダルバート(白米と豆スープ、青菜炒めや漬け物がセットになったプレート)である。けれど、過去の旅を振り返るたびに思い出すのは、標高3,800mで口にしたガーリックスープ。エベレストが聳えるクーンブ地方に位置するクムジュン村。そこで高山病の症状が出てしまった私に、ガイドが勧めてくれたものだった。

高山病は、酸素の薄い高山帯で血液中の酸素濃度が下がることが原因で起きる。初期症状は、頭痛や吐き気。水をたくさん飲む、呼吸を意識するなどの対策はしたつもりだったが、ついに人生初の高山病を体験することになった。

運ばれてきたガーリックスープは一見美味しそうに見えたが、そこにはみじん切りされた“生の”ニンニクが大量に入っていて、辛くて仕方がない。なんとか2、3口は試してみたものの、だんだん口の中が痺れてきて、結局そこで食べるのを止めた。その後も体調は回復せず、何も食べられず、終いには一度吐いてしまった。

翌朝目を覚ますと、頭痛も吐き気も嘘のように収まり、その後は無事に目的地まで歩ききることができた。ガイドは「ガーリックスープのおかげだね」と笑っていたが、それはどうも疑わしい。実際は、服用した薬の効果で身体が高度に順応できたのだろう。

こうしてガーリックスープは、苦い記憶として心に刻まれることになった。今回のトレッキングでも、おそらく高山病の症状が出ると思うが、あのスープをもう一度試してみる気にはなれないかもしれない。それよりも、スープと一緒に出てきた茹でたてのじゃがいもが、ほくほくとした感じでなんとも美味しそうだった。あのときは手を付けられなかったが、機会があれば食べてみたいと思っている。

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