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一目惚れした景観と「場所文化」が生み出すワイン

オイシサノトビラ

一目惚れした景観と「場所文化」が生み出すワイン

─── ワインづくりは「場所文化」と話す98WINEs代表の平山繁之さん。

はたして、その言葉にはどのような真意があるのか。そして、平山さんはどのような経緯を経て、この思想にたどり着き、ワイナリーの立ち上げにいたったのか。激動の歩みとワイン、そしてワイナリーへの思いを語ってもらった。

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平山さんは学生時代、そしてメルシャンでの勤務時代の一部をフランスで過ごしたそうですね。

平山さん
日本の高校を卒業して、フランスの美術学校で学びはじめた頃は、まさに青春の真っ盛りでした。ただ、フランスの自由な雰囲気のなかで、気ままに絵画を学んだこともあり、帰国してメルシャンに入社してからは言い知れぬモヤモヤ感にさいなまれてしまいました。「なんで毎日、満員電車に揺られているのか」「なんで毎日、同じ服を着て朝礼をするのか」と。
でも、ワインの仕事に携わらせてもらえたのは本当にありがたかったし、楽しかったです。フランスのことや言語に多少の理解があったので、フランスの情報収集と共有という切り口で、自分の居場所をつくっていきました。
そんな生活を10年くらい続けていたら、今度は会社からフランス留学の機会をいただき、1990年からブルゴーニュに渡りました。
その時に感銘を受けたのが、現地の小さなワイナリーが日本とまったく異なるワインづくりをしていたことです。教科書的な技術に頼らず、その「場所文化」に根差したワインづくりが行われていたのです。私自身、会社からは「技術を学んで来てほしい」と言われていましたし、当初はそのつもりでいたのですが、実際に現地のワイナリーの皆さんと接しているうちにワインづくりの本質は技術ではないということが理解できるようになりました。

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そういう経験が平山さんの「ワインづくりは『場所文化』」という考え方につながっていったのですね。

平山さん
まさにそうです。ワインは人間が技術的につくるのものではなく、「場所文化」に委ねて、自然と育まれていくものなんです。ここで言う文化とは自然に近いもので、「人の意識が介在しないもの」という意味合いが込められています。たとえば、ワインの搾り方ひとつとっても、本来はその場所の気候風土に人が順応した末に育まれ、それが地域の文化として定着したものと捉えるべきでしょう。
ちなみに、ワインは「場所文化」によってつくられますが、日本酒やビールは技術によってつくられるものと私は考えています。米や大麦は仕入れや保管が比較的容易にできるし、場所の影響がそれほど大きくありませんから。だから、日本酒は杜氏が移り住んだところが産地になってきたわけです。

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そういった考え方を確立し、言語化できるようになったのはいつ頃ですか。

平山さん
ちょうどメルシャンを早期退職した2007年くらいだったかと思います。振り返ってみると、メルシャン時代の上司で、ワイン醸造家・評論家として知られる浅井昭吾さん(筆名は麻井宇介さん)の影響も大きかったかもしれません。浅井さんは『比較ワイン文化考 教養としての酒学』を著すなど、早くからワインを文化的な側面で捉えていましたから。

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とはいえ、長年勤めた会社を辞めるのはなかなか勇気がいることだったかと思います。メルシャンを退職した後はどのような仕事に就いたのですか。

平山さん
メルシャン時代から山梨県が生活の拠点だったので、退職後も山梨に恩返しをしたい、この地で地域おこしに携わりたいという思いがありました。そこで、勝沼醸造(山梨県甲州市)という中堅ワイナリーで役員を務めながら、地域おこしに取り組んでみることにしました。

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具体的にはどのようなことに取り組んでいたのですか。

平山さん
勝沼醸造の経営を支えながら、地域おこしに取り組む仲間たちとともに「場所文化フォーラム」に参加しました。メンバーは『里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く』や『デフレの正体 経済は「人口の波」で動く』といった書籍の著者として有名な藻谷浩介さんなど多士済々で、彼らと一緒に東京・丸の内に居酒屋を開業したんです。最初は「とかちの…」という店名にして主に北海道の十勝地域の食材を使用していましたが、2010年からは「にっぽんの…」という店名にあらため、全国各地の食材を取り扱うようになりました。フォーラムのメンバーはもちろん、官僚や金融マン、地方のリーダーたちが集い、地域活性化について学んだり、思い思いに議論を交わす場になっていましたね。
この活動を通してあらためて実感したのは「場所文化」の源泉ともいえる地方の重要性です。たとえば地方で生活を送れば、当たり前のように自然との付き合い方を学ぶことができますが、都市ではそのようなことができません。自然の恵みを享受したり、災害などから身を守る術を学ぶには、地方を守り、その中の自然と真摯に向き合うことが大切なのです。

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その思いがワイナリーの立ち上げにつながったのですね。

平山さん
それもありますが、コンサルタントとして、各地のワイナリーの立ち上げをサポートして回った経験も大きかったですね。たいして愛着があるわけでもないのに、補助金目当てでワイナリーを立ち上げようとする事業者が多く、途中で辟易してしまったんです。それで「ならば自分でやろう」と気持ちがどんどん大きくなっていったんです。

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ワイナリーの立地として、山梨県甲州市の塩山を選んだ理由についてお聞かせください。

平山さん
私自身は横浜出身なんですが、長年暮らしてきた山梨に恩返しをしたいという思いがあったので、場所は山梨県でと考えていました。しかも、仲間が土地を貸してくれることになっていたので、当初はそこでワイナリーを立ち上げようとしていたんです。
ところがある日、ふと思い立って、塩山にあるザゼンソウの群生地に足を運んだことが転機になりました。ザゼンソウをひとしきり愛でた後、行きとは違う道で帰っていたら、富士山がバーンと見える高台にたどり着いたんです。しかも、すぐ側にワイナリーに適した小屋までありました。興奮した私は思わず散歩中のおじさんに「このあたりの土地を持っている人を知っていますか」と質問。すると、驚くことにその方がこの土地の所有者で、二つ返事で貸してくれることになったんです。

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まさに運命的な出会いですね。

平山さん
私が一目惚れした景観には何物にも代えがたい美しさがあります。ただワインをつくるのではなく、多くの人に来てもらえる場にしたい、東京の人たちにも来てもらって地域経済を回したい、と強く思いました。それで「たくさんの人との“+α”により98が100にも200にもなる」という意味を込めて、この地に98WINEsというワイナリーを立ち上げたのです。

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ワイナリーを立ち上げてからはこれまで以上にいろんな人たちを巻き込みながら、新たな取り組みに挑んでいますね。「98BEERs」というブルワリーとそれに併設する形で「STAY366」というブティックホテルを営んでいると伺っています。

平山さん
ひとつのキッカケはコロナ禍でした。経営面での打撃はゼロだったのですが、コロナ禍という想定外の出来事に危機感を覚えたんです。たとえばブドウが不作の年が来たらどうするか。欧州のワイナリーでは不測の事態に備えてワインをストックしておくのが常ですが、うちには規模的にもストックするほどの余裕がありません。
こうした不安を払拭するために、何か新しいことに取り組もうとしたのですが、私にできることといったら、やはり酒をつくることです。そこで、原料の仕入れや保管が比較的容易な技術の酒、ビールに取り組んでみることにしたんです。
こうしてすぐに県下のブルワリーを視察した時に出会ったのが、現在、うちでビールづくりを担当してくれている宮嵜尚文です。何度も話を聞きに行っているうちに「僕がやります」と言ってくれたので、すぐに来てもらうことにしたんです。私よりも技術的なノウハウを豊富に持っているので、設備の導入から醸造まで一連の流れを任せました。

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素敵な縁ですね。STAY366の方はどのようなきっかけがあったのですか。
平山さん これもまた散歩中にリノベーションのしがいがありそうな元宿泊施設を見つけたのがきっかけなんです。ワイナリーにも近く、とても趣のある建物だったので、ブルワリーを併設した宿泊施設に仕立て直しました。
ちなみに、この施設で料理長を務めているのは、私が以前に通っていたそば屋の料理人なんです。これもまた縁、ありがたいかぎりです。

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「場所文化」の可能性がどんどん広がっていますね。

平山さん
本当にいろんな人たちと関わり合いながら仕事を進めることができています。企業の社長さんがワインを学びに来てくれたり、こうやって取材に来てくれる人たちもいる。最近入社してくれた若者たちもやる気に満ちているので、ワイナリーとブルワリー、ブティックホテルを一体的に捉えてその価値を高めながら、よりワクワクを感じられるような事業に取り組んでいきたいですね。

つづく

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