

久しぶりのニューヨークの夏。相変わらず地下鉄のホームは蒸し風呂のようで、駅を出た途端、鋭い日差しがまぶしくて目を細める。止むことのない車のクラクションとサイレン。人も建物もそれぞれが「何かに急いでいる音」を立てている。青空を見上げて、ふう、と一呼吸。
今も昔も、そんなニューヨークを歩いていると、時折ふと自分だけが取り残されているような気がする時がある。好きで旅をしているはずなのに、まるで自分がどこにもいないような心細さが襲ってくるというような。そうすると、右に行こうか、左に行こうか、さて、どこに自分の居場所はあるのだろうかと、思うままに歩いてみる。歩いていると少しずつ落ち着く自分がいる。そうそう、そうやっていつもの旅がはじまっていく。
今回、滞在したのはブルックリンの古いアパートだ。数日だけ借りた、天井の高い最上階の部屋。思いの外、窓からの景色がとてもよかった。古い冷蔵庫の唸る音だけが響いていて、昼も夜も、外の喧騒がうっすらと遠くから聞こえていた。いつも通りに窓の近くに椅子を置く。こうするとどんな部屋でも自分の部屋のようになるから不思議だ。
部屋には小さなキッチンがあった。2口のガスコンロと、ふちが傷んだ琺瑯の鍋。少しガタつくカッティングボードと小さなナイフ。決して整ってはいないけれど清潔だった。旅先でキッチンがあることが、ぼくにとっては何よりの救いだった。
着いた翌日の朝、アパート近くのグリーンマーケットでパプリカを買った。強い陽射しの中で少し萎れたような、でも香りの濃い地元のトマト。となりに並んでいたズッキーニとトマト、フェンネル、ひと房のミントも手に取った。どれも瑞々しくて色もきれいだった。
旅先の食事において自分だけのおまじないのような言葉がある。それは「野菜があればなんとかなる」。たとえば、何もなくてもジャガイモさえあれば大丈夫。茹でて、塩を振ればちょっとしたごちそうだ。最近は物価高のせいでサンドイッチもピザもとても高い。けれども、マーケットで野菜を買い、手頃なパンさえあれば、どうってことのない値段で食事ができる。こんなふうに旅先で料理をする習慣というか考えが、ぼくにはいつのまにか身についていた。
そう、料理をすること。それは自分のための「やさしさ」のようにも思う。普段においても自分の輪郭がぼやけそうになるたびに(この気持はきっとわかる人がいるだろう)、洗って、切って、茹でたり、炒めたり、味を確かめて、食べるという料理のいちいち。そこに込められる自分という個の判断、または選択が、何事にも負けない、取り込まれない、流されない、大丈夫、という自分を保つ小さなちからの素になる。そうやってぼくは、旅先の街に少しずつ馴染んでいき、ゆっくりと溶け込んでいく。
お店でお金を払って好きなものを食べればいい。それが楽。確かにそうかもしれないが、一度試してみればきっとわかる。旅のひとときの中で、自分の食べるものを自分で作る、そのために買い物をして、料理をして食べることの喜びに勝るものはない。何より楽しい。それって、自分をいたわることであり、自分へのやさしさでもあるんじゃないかな。
ニューヨークで暮らしている友人から電話があった。高い熱が出て、明日会う約束には行けそうもないとのことだった。何かあたたかいものを食べたいけれど、声を出すのもしんどいと電話口の声がかすれていた。彼は大丈夫と言ったけれど、ぼくはふたつ返事で「何か持っていくよ」と言った。
冷蔵庫を開けて、野菜を取り出す。ズッキーニ、パプリカなどの野菜をそれぞれ切り分けてから、別々にオリーブオイルでていねいに炒め、湯むきしたトマト、にんにく、ハーブで作ったソースに加えてゆっくりと煮込む。ミントの葉を数枚、仕上げにレモンの皮をすりおろす。かんたんラタトゥイユの出来上がり。これは、旅先でぼくがいちばん作る料理だ。
真夜中の地下鉄に乗ってマンハッタンへ向かう。タッパーに詰めたラタトゥイユを抱えながら、ぼくはふと思った。「考えてみると料理って手紙みたいだな」と。会話では伝えきれない気持ち、ひとを思いやるまなざし。それを味と香りとぬくもりにのせて届ける手紙。うん、手紙を書くように料理をする自分が確かにいた。
「やさしさはやさしさを生む」という言葉を、ふと思い出した。ぼくが好きなフランスの古い言葉だ。そのとき、ほんの少し余裕のある自分、もしくは、ほんの少し何かができる自分が、その手を誰かのためにそっと使うこと。誰にも気づかれなくても、自分にできるやさしさやいたわりを差し出すこと。「料理とは親切の技術」。これはKさんに教わった言葉だけど、まさにその通り。
大切にしたいのは、誰かのために、自分ができることはなかろうかと考えて、小さくてもいいから、そのやさしさといたわりを行動に移すこと。旅先での出会いや奇跡って、こういうやさしさやいたわりの行動から生まれる。ほんとうだ。
「持ってきたよ。どうぞ食べて」と渡したラタトゥイユに、友人は驚きながらも笑って「ありがとう」とつぶやいた。その声を聞いた瞬間、なぜだかぼくのなかの「旅人」が、ようやくこの街に着地したような気がした。そしてこの街が、少しだけぼくにやさしく微笑みかけてくれたように思えた。
やっぱり旅はいい。ほんとうにいろいろと大切なことを思い出すから。
わたしの素
手作りタレを使った春雨サラダは、この季節のよく作る大好きな一皿。この手作りタレは卵焼きにかけて食べてもおいしく、炒めものやサラダなどにも使える万能タレ。レモンの絞り汁がおいしさの秘密。こんなにかんたんなのにおいしさは抜群だから、暑い日はこればかり作って食べています。お好みで茹でたエビや炒めたひき肉を加えてもオーケーです。
[タレの材料と作り方] カップ3/4
ナムプラー…大サジ4杯
レモン汁…大サジ4杯(果肉も含め)
てんさい糖…大サジ2杯
すべての材料を混ぜ合わせたらタレが出来上がりです。
*ナムプラー、レモン汁、てんさい糖。2:2:1の割合を覚えておくと便利。
[材料](二人分)
春雨…100g
作ったタレ…カップ3/4
コリアンダー…適量
紫たまねぎ…1/2コ
[作り方]
1 紫玉ねぎを薄切りします。春雨を5分ほど、熱湯につけて戻します。
2 戻した春雨をザルで水気を切り、粗熱を取ったら、食べやすい大きさに切ります。
3 作ったタレを混ぜ合わせ、コリアンダーと紫たまねぎを加えたら出来上がりです。