

真夏のニューヨークが終わり、9月になって、ぼくの一番好きな秋がやってきた。秋のセントラルパークは最高だ。美しい紅葉でみるみると景色の色が変わり、この広い公園をどこまで歩いていきたい気持ちになる。
73丁目のアパートからセントラルパークまでの閑静な道なりを歩くのも好きだった。幾人かの顔見知りのドアマンとにこやかな挨拶を交わす喜びもあった。ぼくはいつもポケットに一冊の本をしのばせて散歩を楽しんだ。うっかり本を忘れたときは取りに帰るほど、散歩には本がすごーく大事。
ところどころに置かれた足休めのベンチでお気に入りの本を好きなだけ読む。ひと呼吸おいて空を仰ぐと、その言葉や文章が心の中にすっと静かに溶け込んでいくのがわかる。そういうひとときは心の栄養をいただくというか、おいしい料理を味わうことに似ていると思う。ときどき足を延ばして、他の公園に出かけるときもある。ミッドタウンのブライアントパーク、グリニッジビレッジのワシントンスクエアパーク。ときにはチャイナタウンのコロンバスパークがぼくのお気に入りだ。歩いていてふと出会う小さなコミュニティガーデンも隠れた読書スポットだ。あまりに月並みだけど、サリンジャーやO.ヘンリー、アーウィン・ショー、ヘミングウェイ、ときどきブローティガンが散歩の友だった。
ある日、料理好きでおいしいもの好きのKさんに「Kさんがいちばん好きな料理本はなんですか?」と聞いたことがある。なんてったってKさんの家にはところどころに料理本が積み上がっていて、ベッドルームの本棚も料理本でいっぱいだった。そんなKさんにとってどんな料理本がいちばんなのかぼくは知りたかった。
「そうね。いちばん好きなのは……辰巳浜子さんの『料理歳時記』ね。ニューヨークにやってきてから、ずっとこの本だけは何度も何度も読み続けているのよね。暮らしているといろいろとあるじゃない? つらいときやどうしたら良いかわからないときとか、自分が自分でないように感じる時とか、そんなふうに何かあるたびに手に取るのが『料理歳時記』かな。あなたみたいにこの本をバッグに潜めて出かけるときもあるわ。地下鉄の中で読んだり、銀行で待っているときに読んだり、もちろん公園のベンチでもね」
Kさんはキッチンの片隅に置かれたその本をぼくに見せてくれた。何年もかけて読まれた『料理歳時記』はページの角がところどころ折られていて、まさにKさんのお守りのような一冊だった。
「この本は一年を通じて、季節をいただく心持ちを書いたエッセイなんだけど、料理本としてもすばらしいのよ。おいしいものを作るということがどういうことなのか。生き方を教えてくれているのよね」
「心をこめて作り、心で味わうこと。それが「おいしさ」の本質。おいしいというのは心のはたらき。そして、毎日の食事を生み出す台所は、暮らしの中心に据え、家の中のいのちの場所という浜子さん。料理は、まず窓を開けて、空を見上げて今日という一日を感謝してからはじめるという言葉がわたしは大好き。あとは、料理は人のためにすること。だから自分のためだけに作るときでも、人をもてなすように作ること。大事よね。わたしは一人暮らしだからこの言葉もずっと大切にしてきたのよね。アイスクリームの作り方なんてあって、わたしは何度も作ったのよね。とってもおいしかった!」
本のページをめくりながらKさんの言葉は尽きなかった。自分の好きな本のことを話すときって、こんなふうに言葉が溢れてくるのはぼくも一緒だった。不思議となんだかうれしい気持ちでいっぱいになるし、自分だけの発見や気づきを言葉にするってしあわせなことのひとつだ。
「あ、そうだ、わたし『料理歳時記』の文庫本を一冊持っているから、あなたにプレゼントするわ。新品でなくてごめんなさいね」
Kさんは本棚の奥からその文庫本を探し出してきて、「はい、どうぞ読んでみて。きっとあなたも好きな一冊になるわよ。わたしがあなたに教えたい料理のこと、おいしさのこと、日々の食事を大切にすることなど、ここにすべて書いてあるから」と言ってぼくに手渡した。
辰巳浜子さんの『料理歳時記』。ぼくはこの本を持ってどこに出かけようかと考えた。あそこかな、いや、こっちかなと、なんだかうきうきした気持ちになった。Kさん、ありがとう。新しい友だちが一人できたような気がした。
わたしの素
栗ようかんは不思議なお菓子だ。ようかんだけど、ようかんとは違う特別なおいしさをいつも感じる。栗の素朴さなのだろうか、食べ終わったあとの余韻が口にいつまでも残り、その余韻を味わいたくて、また食べたくなるというような。
散歩がてら、近所の和菓子屋をはじめて訪ねてみた。のれんをくぐると、時間がゆっくりと流れはじめる。栗の粒がごろりと入ったようかんは、ずしりと重たく、切り分けた断面に、まるで月を閉じ込めたようなやわらかい金色があった。ただの栗がとても特別なごちそうに感じてくる。買ってきた包みを開くその所作ひとつも、このお菓子にとってはおいしさのひとつだと思える。ひと口食べて、目を閉じる。栗の甘さが口に静かに広がり、少しあとから、ようかんの深い甘みが追いかけてくる。まるで、遠くの山をゆっくりと染めていく夕陽のようだった。栗ようかんというのはほんとうにおいしくて、このおいしさはなんだろうといつも思う。そのひとときも味わう不思議なお菓子だ。
いつしかぼくは、おいしい栗ようかんを探すことが楽しみになっている。店によって栗の風味もようかんの甘さや食感が違うのがいい。おいしいはそれぞれ。今年もまた、ひとつ、おいしい栗ようかんを見つけたい。