

────写真家の長野陽一さんの〟おいしい写真〝が、多くの人を魅了し続けている。日本の島々で暮らす人々を追いかけた代表作とともに10年以上にわたり料理写真を撮り続け、いつしか〟食〝の作品の分野でも、独自の世界を切り拓いた長野さん。そのルーツは大学時代にまで遡る。
「もともと美大の油絵科出身なので、写真の勉強はしていなくて。デジタルカメラもケータイもなかった当時、自分が描いた絵をポジフィルムで撮ってスライドで記録するために、なんとなくカメラの使い方を覚えたくらいでした」
写真を仕事にしようと決めたのは、絵を描きながら東南アジアやインドを放浪していた頃。ジャーナリストで写真家だった小林紀晴さんと知り合ったのがきっかけで、アジアを放浪する日本人を追いかけたノンフィクション作品『アジアン・ジャパニーズ』に取り上げられた。
「そこから小林さんと飲んだり、遊んだりするようになって、写真にも興味を持って、いろいろなノウハウを教えてもらった。その頃って、ちょうどホンマタカシやHIROMIXに始まる写真ブームがあって、写真の常識が変わるような時期だったんですね。そういう時代に、小林さんのようなプロの写真家に出会ったのが大きかった。その後、油絵科を卒業して、どう考えても画家では食べられないと、電車に揺られながら中吊りを見ていた時にふと、写真だらけだなと思って。なかにはあまりうまくないものもあったり、これでお金がもらえるのなら、僕にも撮れるのかなぁと。小林さんに相談したら、2年間、アシスタントとして雇ってくれた」
執筆にも忙しい小林さんの傍らで、写真を現像する暗室作業を支え、旅をしながら空いた時間に作品を撮った。そしてのちに『シマノホホエミ』として一冊の本にもなった、島に暮らす10代の瑞々しい表情を切り撮った写真が公募展に入選し、キャリアが始まる。
「媒体で写真を撮るようになったのは、川内倫子さんとの展示でアートディレクターの有山達也さんに声をかけてもらってから。その数年後、有山さんがディレクションをした雑誌『クウネル』で13年ほど、ストーリーのあるモノと暮らしをテーマに撮らせてもらった。そのなかで時々、料理の写真を撮る機会があったんですよね。それを見た写真雑誌の編集者が、特集でそれらを紹介したいと言ってくれて。それまで料理写真といえばバキバキにライティングをしたシズルっぽいものが多かったから驚きましたが、自分の写真を集めてみたら、作った人のポートレートのようで面白いなと思ったんです」
初めての料理雑誌でのグラビア掲載、かつてない料理写真での個展や写真集も話題となった。
「今のようにデジカメで撮るのと違って、撮るまでにすごく時間がかかるんですよ。三脚を立てて絞りとシャッタースピード、フォーカスを合わせて、1分間ほどは露光したりする。だから、出来立て熱々の料理に湯気が立ちのぼる瞬間とか、そんなふうなシズルっぽい写真じゃないんだけど、そこに、みんなが普段見ている料理本来の姿や作っている人の人物像、その背景やライフスタイルが見え隠れしたんでしょうね」
長野さんが目指したのは、写真としての絵作りや見栄え、おいしそうに見せる小手先のテクニックではない、撮影する人物や料理の裏側にある物語、その背景を感じる写真だ。
「写真を見た人に、この料理っておいしいんですか、と聞かれたことがあって、おいしいから撮るんですよ、と説明したことがあります。当たり前だけれど、そこではおいしそうな衝動に心動かされているのであって、そう見せるためのテクニックでは撮っていないんですよね」
日々、仕事で様々な食の写真を撮るようになった今も、作り手のこだわりやストーリーを切り撮りたいと考えている。そんな長野さんのおいしい食の記憶は、大学時代に旅したインドにまで遡る。

「当時、沢木耕太郎や金子光晴のドロップアウトしたような紀行文に影響を受けて、何度もインドに行っていました。貧乏旅行だったけど、トータルで1年弱にはなると思います。そのうちに現地の人と同じようにカレーを手で食べるようになった。最初は『ついにやっちゃったな』みたいな感覚でしたね。見様見真似でね」

当初はコツもわからず、口の周りを汚し、手をベタベタにしながら食べた。何度もやるうちにだんだん慣れてきて、指の第二関節までを上手に使って食べるコツがわかってきたという。
「南インドのケララ州のカレーを出す〈三燈舎〉は、手食もおすすめしてくれていて、インドでやっていたのと同じように堂々と、手でカレーを楽しむことができる。これがめちゃくちゃ旨い! スプーンを使うとカトラリーの味がなんとなくしてしまうというか。手食は指先から食べ物の温度が伝わってきて、なんともいえない解放感があるんです。インドで、食べることの価値観も変わりました。土地やライフスタイルに基づいた食というものに惹かれる、自分の写真の原点的な味がここにあると感じます」
わたしの素
本場のパリで食べる、なんてことのないバゲットやクロワッサンって、すごくおいしいじゃないですか。なんなら夕方まで売れ残っていたものだってね。どうしてあれが東京では作れないのかなって、いつも思ったりするんです。〈ル・サティネ〉のクロワッサンは、一見してすごくおしゃれで洗練されていて誤解されそうなんだけど、パリで食べるそれらのように、東京の“ここで食べるからこそ”という大事な部分を外していないのが好きです。それは土地や場所に紐づいた、今の自分の味の記憶や考え方、価値観と直結している。雑誌の撮影で知った店ですが、すごく感動して。思い出しては食べたくなり、日常的に買い求めているもののひとつです(本人購入品)。
profile
長野陽一 / ながの よういち
写真家 / 1968年、福岡県生まれ。
1998年、沖縄・奄美諸島に住む10代のポートレート作品「シマノホホエミ」を発表。以降、料理写真を始め、雑誌、広告、映画など、様々な分野で背後のストーリーやライフスタイルに重きを置いた写真を発表。代表作に『長野陽一の美味しいポートレイト』がある。
Credit:
FRaU編集部
photo:Masanori Kaneshita
text & edit:Asuka Ochi
三燈舎
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