──── 淡々と話をしているようでも、専門用語を分かりやすく伝えてくれたり取材時間を気にしてくれたり、やさしい人柄が出る朝日さん。Minimalの創業メンバーであり、Minimalが目指す新しいチョコレートを生み出してきた「エンジニアリングディレクター」(チョコレート製造責任者)である。
自身のことをエンジニア気質と話すその肩書からは想像できない、チョコレートへの想いとそのルーツについて話を聞いた。
オイシサノトビラ
朝日さんのルーツと言いますか。今の職種についたきっかけを教えてください。
朝日さん
きっかけとして料理の記憶に残ってるのは…(料理というよりは実験感覚だったかもしれないと今でも思いますが)、小学生の低学年の頃、バターと砂糖と卵を練ってクッキーを作るということをしていたんです。明らかな失敗作のはずなんですが、食べた祖母は喜んで食べてくれました。それが割と強烈に記憶に残っているんです。手を動かして何かを作って、人が喜んでくれたということが原体験にあって、この職を選びましたね。
オイシサノトビラ
そのような原体験があって、食の道を選ばれたんですね。理系の職業をされていて、それでも飲食への想いがあって20代後半でイタリアンの料理人という道を選んだということなんですね。
朝日さん
僕は、既に世の中にあるものは面白くないなと思う気質で、カウンターカルチャーに目を向けていくタイプです。そういう自分の気質もあって、王道のフレンチや和食ではなく、イタリアンを選んだのだと思います。実際にイタリアに行って現地で感じたのが、野菜の味の濃さ。色とりどりで味も濃くて、ずいぶん個性があるなと感じました。現地のイタリア人たちがその素材だったり、地元だったりに、自信たっぷりで生きている姿を見てとても魅力的に感じたんです。今でも彼らに習う部分は非常に多いなと思っています。
オイシサノトビラ
イタリアでは、ソムリエの資格も取られたとうかがいました。
朝日さん
イタリアのワインは、日本で一般的なフランスのワインとは少し違う考え方をしているんです。土着の品種で作って、土着の食材や料理に合わせることでおいしいよねという発達の仕方をしています。
ワインのブドウの種類だけで二百ぐらいあって、それぞれちゃんと味が違うし、文化も違う。僕はそんな世界を体験してきました。フィレンツェでは、チョコレート工房で働いたりもしました。
オイシサノトビラ
帰国してMinimalの創業メンバーになるまでは、どのようなお仕事をしていたんですか。
朝日さん
東京、中目黒でいわゆるバールスタイル(コーヒーを中心とした飲食店)のお店をやっていたんですけど、そこでチョコレートも出していて、のちに代表となる山下がお客さんとしても来ていました。食事もお酒もお菓子も提供するという自分の好きなものを詰め込むスタイルでお店をやっていましたが、そこにカカオハンターの小方真弓さんが持ってきたカカオと出会う機会があって、試しにそれでチョコレートを作ってみたんです。そしたら本当にフルーツみたいな味がするチョコレートができあがって、これはおもしろいなって思って。それがMinimalのはじまりですね。
オイシサノトビラ
カカオの実験からMinimalのシェフが誕生したということですね。
朝日さん
僕はもともと自分のことをシェフだとは思っていないんです。たとえば、シェフは自分の好きな料理をお客さんに提案していくようにコースを考える。でも僕の場合、名刺の肩書見てもよくわからない肩書(エンジニアリング ディレクター)がついていますよね。僕は素材のポテンシャルを引き出す、あるいは可能性を広げる、カカオのポテンシャルや可能性をお客さんに提供しようと思ってやっています。それは幸いなことに、ワインと共通するところが非常に多い。ワインのポリフェノールをコントロールしていく感覚と似ていて。ポリフェノールが酸化しワインが熟成していく様子、カカオに含まれてる渋み成分をどんな割合にしていくか、ある酸味をどれくらいにしたらおもしろくなるのか、という考え方をしています。これは僕の気質ですが、どこかにあるチョコレートの味ではなく、Minimalのチョコレートの味ということを意識している。
これまで届けてきた人たちが、僕らが好んでいたものをおもしろがってくれて、少しずつ広がってきた、やっとここまで届けられるようになってきました。
これからやっていきたい実験のひとつをお話しすると、一般的な“おいしい”ってどういうものなんだろうというものを探求してみたいですね。
オイシサノトビラ
朝日さんは“おいしい”ということをどのように考えてるのでしょうか。
朝日さん
“おいしい”という感情を、驚きを含んでいるものだと定義します。
何かを食べた時にそれを好きだと感じるのは、その人の今までの食の経験から作られている。自分のこれまでの食の経験から半歩、一歩外れると、それがその人の好きや嫌いになると考えています。今までその人が好んできた味だけれど、どこか驚きがあるというものを僕らは提供していきたい。それが好きの延長線上にあってほしいと思っています。僕らならではと言える驚きを提供していきたいです。
わたしの素
オイシサノトビラ
ご自身のことをエンジニア気質と話す朝日さんにとってのおいしい記憶について教えてください。
朝日さん
イタリアで働いていた時、彼らがどんなワイン作りをしているのか、一緒に体験する機会がありました。それがかなりプリミティブな世界で、勘と経験みたいなところに頼っている部分があって、これは真似できないなと思いました。それは単純に憧れの対象でしかないんですけれど。僕にとっての"おいしい”というのは、自然と対話をしている人たちから生まれたものです。
それは、身体に負担のないものであったり、誰にも迷惑をかけずに作られていたり、おもしろい驚きを創っている人たちは非常に魅力的だなと思っています。
数年前イタリアに行った時の話なんですが、イタリアの北の方にラディコンという作り手のワインがあります。当主が亡くなってしまって、ワインの味が変わってしまうのかもしれないと言われはじめた時でした。
そのラディコンを、前の当主のものと新しく継いだ人のものとを飲み比べる機会があったんです。
前の当主が作ったワインは時間も経っているし、当然おいしい。ただ、新しく作った人のワインも、別の方向性を持っているんですが、前の当主のおいしいの中にちゃんと入ってると感じて、とても感動しました。それが作り手の意地なのか、センスなのかは分かりません。ただ、それを感じることができたことに感動を覚えました。人から人に変わった中でも、軸は外さない。それでも違う表現を感じたんです。それが忘れられないおいしい記憶ですね。