

────スタイリストの中でも、器に特化した「器スタイリスト」として活動する竹内万貴さん。主に雑誌や料理関係の書籍を作る際、プロがこしらえた料理に合う器やカトラリー、クロスなどを選ぶ仕事だ。撮影現場に立ち会い、その料理が最も魅力的に見えるよう、料理家や編集者と一緒に考え、作り手の思いや表現したい世界観を形にしていく。私たちが見る、美しくおいしそうな料理の写真には、竹内さんのような器スタイリストたちの陰ながらの力があるのだ。
岐阜県恵那市の出身。焼き物の産地である多治見市が近く、小さな頃から母親と陶器市に出かけるなど、器は身近な存在だった。
「夕飯どきには両親が料理をするので、自分も台所に入って、器を用意したり、配膳したりするのが役目でした。食べることは好きですが、それよりも器のことが気になって、自分が気に入らないものに料理が盛られていたら、なんだかちょっと想像と違うな……と思ったり。そんなときは自分で盛り付け直して、しっくりきたら、正しく『おいしい』と思えました。料理そのものより、それを『どうやって食べるか』ということに強い興味を持っていました」
東京の大学を卒業した後は新聞社に就職し、広告営業の仕事に就いた。成績を求められる仕事ゆえプレッシャーはあったが、上司や同僚に恵まれ、充実した日々だった。転機が訪れたのは30歳目前の頃。突然、「器に携わる仕事がしたい」という気持ちが湧き上がってきた。
「物心ついた頃から器や料理の盛り付けが好きでしたが、それを仕事にできるとは思っていませんでした。そもそもそんな職業があることも知りませんでしたし。新聞社を退職後は器を扱うギャラリーで働きながら、器について学びました。お客様に『この器なら、こんなふうにお料理を盛っても素敵ですよ』などとお話しするうちに、やっぱり自分がやりたいのは、器と料理の組み合わせを考えて、それを見せることなんだと確信できるようになりました」
“器スタイリスト“という仕事への道が、はっきりと開けた瞬間だった。
ここ数年、竹内さんは東京で器スタイリストの仕事をしながら、月に数度は実家に戻り、家業である仏具店を手伝っている。小さな頃から仏具に囲まれて暮らしてきたが、最近、改めてその美しさに気づいたのだという。
「仏具には独特の型があって、それが崩れることはありません。その佇まいには確固たるものがあって、配置にもそれぞれ意味があります。自分が選ぶ器や料理の盛り方にも自然とそんなエッセンスが取り込まれているのかなと近頃感じるようになってきました」
一定のリズムを刻む気持ちのいい包丁の音。野菜や豆腐など、すべての具材が1cm角ほどの角切りに揃えられて並ぶ。その佇まいは端正という言葉が似合って、しんとした静けさがある。作っているのは、忘れられない料理だ。
「数年前、実家の仕事の関係で昔からお世話になっていたお寺の和尚様が亡くなられて、弔問に伺ったときのことです。冬、とても寒い日だったのですが、弔問の後に温かいけんちん汁が振る舞われました。すべての具材が1cm角ほどに切り揃えられて、お出汁の中に綺麗に浮かんでいる。その佇まいがとても美しくて。普通、けんちん汁には鮮やかな赤色の人参が欠かせないものですが、故人を偲ぶ席だったからでしょう、その日は入っていませんでした。白い根菜と豆腐、蒟蒻、椎茸、油揚げのけんちん汁は澄んでいて、穏やかで……。まるで生前の和尚様を表しているようで、それを口にしたとき、初めて涙が込み上げてきたんです」
お寺に仏具を納品しに行くと、決まって茶でもてなされ、季節ごとに作る郷土料理をお裾分けしてもらった。奥様が作る胡麻豆腐がおいしくて、手習いを受けたこともあった。温かい汁を飲みながら、そんな思い出が蘇ってきた。
「けんちん汁の佇まいもそうですが、寒い中、弔問に駆けつけた人に温かいものをという心遣いに胸打たれました。具材を小さく切り揃えたのは、年配の方でも食べやすいようにという配慮があったのかもしれませんし、長く療養されていた和尚様が最後まで召し上がっていたものだったからなのかもしれません。いずれにせよ、素朴な料理の中にも食べる人への思いやりが込められていて、その一杯から伝わる、そのお寺らしいおもてなしに感じ入りました」
「料理をどうやって食べるか、食べてもらうか」。昔も今も、竹内さんは変わらず、それを考え、試行錯誤しながら表現し続けている。それには器を選ぶというセンスはもちろん必要だが、何より大切なのは、食べる人に思いを寄せる、その心のあり方だ。
「具材の切り方ひとつで、料理から伝わるものは変わる。あの日、お寺で出していただいたけんちん汁に、改めてそれを教えてもらったような気がしています。料理や器に携わるスタイリストとしても、毎日作り、食べるひとりの人としても、ずっと忘れずにいたいことです」
わたしの素
母が夕飯の支度をする台所の片隅には、いつも何かしら茹でた野菜が入ったザルがあります。春はスナップエンドウやさやいんげん。夏はモロヘイヤやオクラや枝豆。秋冬には青菜やブロッコリー。とりあえず茹でておいて、後からどうするか考えるつもりのようですが、あまりにおいしくて、そのまま食べることが多いのです。母いわく、湯に強めの塩を入れて茹でることと、ザルに広げて冷ますことくらいしかコツはないのですが、自分で作ると柔らかすぎたり水っぽかったり、ボケた味になってしまいます。箸休めのつもりが、気づけばひと鉢食べ切ってしまうこともしばしば。生活に溶け込みきったものですが、買おうとしても売っていない、代わりのない食べ物です。