──── 文化を喫する、入場料のある本屋「文喫 六本木」の店長、中澤 佑さん。
「ただ好き」の気持ちから始まった本屋の仕事のこと、文喫のこと、そして食のことについて、話をうかがった。
オイシサノトビラ
今年から「文喫 六本木」の店長になられた中澤さん。どんなきっかけで本に携わるお仕事を始められたのでしょうか。
中澤さん
六本木ヒルズができる頃だからずいぶん昔になりますが、カレー屋さんで働いていたことがあります。下北のスープカレー屋さんでキッチンに入っていました。きっかけは就職に失敗して、じゃあ好きなことやってみるかって思ったから。その後、せっかく好きなことを仕事にできたんだから、もう一個好きなことをやってみたいなと思って本屋で働き始めたんです。別の本屋で店長をやったり本に関わる仕事を続けて、去年から文喫の事業に携わるようになりました。
映画とかも好きだったんですけど、なぜか本は居心地が良かったんですよね。接客、というより、お客さんに本を紹介するのが楽しいです。本屋ってありとあらゆる文化や知識や情報が洪水のように入ってくる現場で、それを眺めているだけでも楽しいし、何より、自分がおすすめする本をお客さんに喜んでもらえると、世界とつながってる感じになるのが嬉しくて。
オイシサノトビラ
本とお客さんをつなぐことが、中澤さんと世界がつながることにつながる…面白いですね。
中澤さんはどんなこだわりを持っておすすめする本を決めていますか。
中澤さん
今って、「名著をあらすじで紹介」とか「要約本」みたいな本がたくさんあるじゃないですか。効率化を重要視する空気というか。でも僕は、本って一冊を読み切らないと自分のためになるのか実は分からないものだと思っているんです。それに、読んだ直後は全然面白くなかった、ピンと来なかったという本でも、例えば5年後10年後にもう一回読んでみると、あ、今だ!って刺さることもよくある。本はそういう出会いもできる。だから文喫では、ネットでさっと買える本や本屋の一番良いところに置かれる本じゃなくて、あまり知られてないけど絶対に良い本っていうのをなるべく揃えたいんです。
お客さんがその本と出会ったとき、手に取っただけでも、背表紙を見ただけでも、きっと記憶に残っているものだから、5年後10年後に思い出してもらって、一番良い状態でまた出会ってくれたら良いなと思いながら選んでいます。
オイシサノトビラ
確かに文喫の本棚を眺めていると、思いがけない本に出会うことがあります。目的の本じゃない本をふと手に取ってしまったり、ついつい長居してしまったり。
中澤さん
文喫もそうだし、これまで僕が働いてきた本屋は、ベストセラーが売れない傾向が、なぜかありました。個性的なお客さんが多いし、スタッフもそれぞれのこだわりがあって。言葉は交わしたことがないけど、どんな本が売れるか、選ばれるのかっていうのを通してお客さんとコミュニケーションをとっている感じがそういう本屋での仕事の面白さでした。
効率化という点において、文喫って真逆のお店です。ここは本棚が著者順とかわかりやすく並んでないんですよ。こちらでセレクトして最もその本の魅力が伝わるように棚を「編集」して並べているから、ある意味本を探す側も、その文脈を読み取る必要がある。本ってそういうものだと思うから。だから自分の好きな本に出会うためには時間を使ってもらってちゃんと探さなきゃならないし、すぐに向こう(本)からはやってこない場所なんです。文喫のお客さんは、むしろそんな風に回り道したり時間をかけたりすることの方が本質だって考えている方が多い気がしますし、僕たちもそういう方向に進んでいきたいなって思っています。
オイシサノトビラ
そういう想いをうかがうと、文喫にはファンと言われるほどのリピーターが多いのも納得します。
中澤さん
まず文喫が何よりも大事にしているのは、本と出会ってもらうことです。そのためにはお店に足を運んでもらいたい。足を運んでもらうためには、来てよかったと思える体験を提供しないといけない。文喫がいろいろなリアルイベントを店内で開催しているのも、そういう理由からきています。
僕たちは、文喫ならではのコミュニティをつくるようなイベントを意識して企画しています。先日はじめて開催した詩の朗読会は、ドリンクと一緒に好きな詩をMENUから選んでもらってお客さんが朗読するという企画でした。MENUには、「にぎやか」「ほろ苦」「じわっと」などといった、詩の味わいを形容した言葉が書かれているんです。そこには「ソロ読み」とか「輪読」とか読み方も添えてあって。みんなで輪になって、選んだ詩を選んだ読み方で朗読する。そういうイベントってどこまで支持されるのかなと少し不安だったんですが、結果はすごく好評いただいてチケット完売でした。イベント自体も盛り上がって。文喫という場所を使って詩という言葉の表現方法で、いろんな人がつながりコミュニティーをつくる、目指すイベントができた気がします。
他にも、トミヤマユキコさんが書かれた『ネオ日本食』という本についてのイベントもやりました。ネオ日本食というのは、例えばナポリタンみたいに、海外から持ち込まれたはずなのに、日本人があれこれ自分好みに変えたことによって独自の進化を遂げちゃった食べ物や飲み物ってあるじゃないですか。そういったネオ日本食について、トミヤマさんと一緒に歴史を深掘りしたり語り合ったりしましたね。僕が店長になってから、食関連のイベントがすごく増えたって言われます。
オイシサノトビラ
食と本が好きな中澤さんならではのイベントですね。
好きなことを2つとも仕事になさっているんですね。
中澤さん
確かにそうですね。僕は昔から、食も大好きです。おいしいものを食べるっていうのは、自分の中ではちょっとした生きる糧…ぐらいかもしれないです。
言葉ではあんまりうまく説明できないですけど、自分の好みは割とはっきりしている気がします。これはおいしい、これはちょっと違う、みたいにくっきりと。感覚的なものだからこそ、自分の「おいしい」に共感してくれる人って特別に思います。食べ物の話をしたとき、もしくは一緒にお店に行って「これおいしいね」ってなったら、もうその人とは友達になれる。
オイシサノトビラ
趣味が合う、考え方が合う、とかありますけど、中澤さんにとっては食が大事なんですね。
中澤さん
食の好みが同じっていうのは、僕の中で本当に大きい。
妻と結婚した理由は、本当においしいものが似てたから。それが一番大きくて。「あの店にいこう」「いいね」「久々だね」「おいしいね」って会話をできるって、すごくうれしいですよね。
好みで言えば…せんべろみたいな、ちょっと寂れた方が好きなんですよ。小綺麗なところや有名なところに行くより、裏路地に入ったところでおじいちゃんが一人でやっているようなお店が良いですね。意外と言われますが、同じところに通い続けるよりもいろんなお店を開拓したいタイプです。
先ほど本の効率化の話がありましたけど、今の時代、食でも言えますよね。出前やデリバリーが簡単にできるじゃないですか。でも僕は「わざわざ行かなきゃいけないお店」が好きなんです。その場所に行かないと食べられないってものに価値があると思っている。その場所でしか味わえない体験がとても大切なんです。そういう意味では、食と本って似ていると思いますね。
わたしの素
オイシサノトビラ
おいしいものにはとことん出会いたいという中澤さん。そんな中澤さんの素となった、忘れられないおいしい記憶はなんですか。
中澤さん
僕は日芸(日本大学芸術学部)出身で江古田のキャンパスに通っていたんですが、近くにあった古い喫茶店のカレーが大好きでした。
「プアハウス」というお店の名物カレーで、ものすごく辛いんです。欧風なんですけどスパイシーな風味で独特な味わいがあるんですよね。そしてなぜか春菊が乗っかっているという。最初は学生のときにお腹が空いていたからたまたま食べただけだったんですけど、これまで食べたことのない味に衝撃を受けたのを覚えています。卒業してからも何年も通っていましたが、残念ながら6年前に閉店してしまいました。久々に電車に乗って食べに行った日が、閉店2日前で。とてもショックでしたね。もう食べられないというのもあるかもしれないけど、今でも僕の人生の中で一番おいしいカレーです。
最近だと、ネオ日本食のイベントの時に飲んだ「ホイス」というお酒が一番強く記憶に残っています。
ホイスはサワーやホッピーのような割り材なのですが、酒造元の方針で小売販売を全くしていないんです。価値を共感し合う飲食店だけにしか卸さないから「幻のお酒(割り材)」と言われています。良質なウイスキーが手に入らなった戦後間もない頃に、安い焼酎でもおいしく飲めるように調合したのが始まりで、まさに庶民の知恵で生まれたものだそうです。ホイスには、戦後、製造元の創業者がシベリア鉄道に乗ってヨーロッパを旅した際に、その土地土地で採取したスパイスが調合されているそうなんです。だからなのでしょうか、とても風味が豊かで爽やかな味わいが楽しめる、本当においしい逸品です。
本物のウイスキーが飲める時代になっても、ホイスが飲みたいという根強いファンが多いから現在でも残っています。代替品だったものがいつの間にかオリジナルになっているというのが面白いですよね。