コンテンツへスキップ
文筆家|中村暁野

オイシサノトビラ

文筆家|中村暁野

────山梨との県境に位置する、神奈川県相模原市の旧藤野町。地域の真ん中に相模湖があり、水と緑に恵まれた伸びやかな里山が広がっている。中村暁野さんはこの地で空間デザイナーの夫と共に3人の子どもを育てながら、「家族」や「暮らし」をテーマに執筆活動を行っている。


2015年に立ち上げた雑誌『家族と一年誌家族』は、ひと組の家族を一年かけて取材するという今までにないコンセプトが話題となった。中村さん自身が家族の在り方に悩み、もがいていたからこそ生まれた雑誌で、「家族」を捉え直そうとする実験的な試みは大きな反響を生んだ。ここ数年は「暮らし」をテーマに情報を発信。環境負荷の少ないライフスタイルをSN Sを通じて提案するほか、プラスチックフリーな日用品や、有機栽培や自然農法の食品を扱うオンラインショップ「家族と一年商店」も運営している。

どの活動も軸となっているのは、足元にある生活を見つめること。家族という最小単位の社会について考えたり、暮らしの基盤となる環境、つまり地球との関係性をよりよいものにしようと努めたり。生活者としての確かな眼差しがあるから、中村さんの紡ぐ言葉は多くの共感を生んでいる。

そんな中村さんの記憶には、母親が誕生日に焼いてくれた2つのケーキがある。ひとつは生クリームとフルーツを飾ったデコレーションケーキ。もうひとつは素朴なバナナケーキ。このバナナケーキのおいしさが今でも忘れられないのだと言う。

「ある時、母にどうして誕生日に2つもケーキを焼いていたの? と聞いたんです。すると、 『お菓子はそれしか作れないから、お祝いの日にはどちらも作りたくて』と言っていました。小さい頃の私は市販の生クリームが苦手で。でも、母の作るデコレーションケーキだけはおいしく食べられたんですよね。一緒に焼いてくれたバナナケーキも大好きで。18歳で実家を出るとき、このバナナケーキのレシピを教えてもらい、自分でも作るようになりました」

バナナケーキを焼くことがぐっと増えたのは、13年前に長女が生まれてから。母のレシピは時間と共にアレンジされ、環境負荷を考えてプラントベースの食生活をするようになった現在は、卵を加えずに作るレシピが定番になった。サラダ油の代わりに、なたね油やココナッツオイルを、砂糖の代わりにメープルシロップを使い、バナナの風味が生きた自然な甘さに仕上げる。誕生日の思い出の味は、いつしか中村家の普段のおやつになっていった。

「子どもたちには『またこれー?』なんて言われますが、家庭で作って食べるケーキはこのくらいシンプルでいいのかなって。今の時代はおいしいケーキやお菓子がありすぎるくらいだと思いますから」

家ではプラントベースの食事を心がけているが、子どもたちが市販のお菓子を食べたいと思うのは自然なことだと中村さんは言う。

「家族がみんな同じ食事をしなくてはいけないとは思っていないんです。こうあるべきという理想が強くなると苦しくなってしまうから。私の母も、普段は子どものために手料理を作っていましたが、疲れた日は『今日はファミレスに行っちゃおう!』と言える人でした。理想を追うだけじゃなくて、ありのままの現実をポジティブに受け入れられる人。そのおかげで私もいろいろな食体験ができて、食べることの引き出しを増やしてもらったと思っています」

子どもの成長を見守る中で、時に悩むこともあるそうだが、「それでもひとつひとつ向き合っていけば、乗り越えられない山はないな、と思っています」と笑う中村さん。先日は中学生になった長女から思いがけず嬉しい言葉をもらったそう。

「私がよく作る自家製グラノーラを朝食に出したら、『あーいつものだー』と言われたんです。彼女はどちらかというとマイナスな意味で口にしたのだと思いますが、私はそれを聞いて、なんだか誇らしくなったんですよね。子育てを通して、娘にとってのいつもの味を作ってこられたんだな、と。頑張ったな~と自分を褒めたい気持ちになりました」

繰り返し食べることで体に記憶されていく家庭の味。中村さんにとってのバナナケーキがそうだったように、グラノーラもまた、母娘の思い出になっていくのかもしれない。

「食べることは家族を繋いでくれると思うんです。一緒に暮らしていれば喧嘩をしたり、意見がぶつかったりする日もあるけれど、おいしいものを一緒に食べれば、気持ちが和んで、また互いに向き合って頑張ろうと思えますから」

中村さんが取り上げる「家族」や「暮らし」は終わりのないテーマ。自分たちにとっての心地のよさを模索し続けることは、バナナケーキのレシピを少しずつアレンジしていくことと似ているのかもしれない。旧藤野町での試行錯誤の日々は、これからも賑やかに続いていく。

わたしの素

我が家では普段、環境負荷をできるだけ減らすために、肉や魚を極力食べないプラントベースの食事を心がけています。なので、週に6個だけ食べる卵が家族の何よりの楽しみになっているんです。子どもたちが大好きなオムライスを作ったり、シンプルに卵かけご飯にしたり。子どもの喜ぶ顔が見たくて、卵焼きにしてお弁当に入れることも。ささやかなことでも、家族みんなで楽しみにしていることがあると絆が深まる気がします。それが、同じ旧藤野町で育てられた「傘松ファーム」の卵だということも、ここに移住してきてよかったなと思う理由のひとつです。

 

中村暁野 / なかむら あきの
文筆家・「家族と一年商店」店主
1984年ドイツ生まれ。2015年にひとつの家族を一年間にわたって取材し、丸ごと一冊で取り上げる雑誌『家族と一年誌 家族』を創刊。2021年にはエシカルショップ「家族と一年商店」をスタートさせ、環境負荷の少ないライフスタイルも発信している。
Credit:FRaU編集部
photo : Masanori Kaneshita  
text & edit : Yuka Uchida

ここにテキストが入ります

連載

オイシサノトビラ

記事一覧