山と感覚
苦手の克服
山岳収集家
鈴木優香
先日スーパーで、生まれて初めてパクチーを買った。ネパールの定番料理であるモモを作るためだ。モモは餃子に似ている。日本で食べるそれと違うのは、チキンやバフ(水牛)の肉にクミンなどのスパイスや刻んだパクチーを混ぜ込むことと、辛いソースをつけて食べること。ネパールを旅しているあいだ、街でも山の中でもたびたび食べることになるのがこのモモなのだが、今月末に東京で開催する企画展「Himalayan Small Shop」に向けて気分を盛り上げていこうと思い、作ってみることにしたのだった。
私はこれまでずっと、パクチーを毛嫌いしてきた。料理の上に少しでもパクチーが乗っていようものなら、箸で丁寧に摘んで皿の端に避けてきた。独特の香りが苦手で、どうしても受け入れられなかったのだ。けれどどういうわけか、最近は少しなら食べられるようになってきた。ネパールに行くたびに幾度となく食べてきたモモによって、いつの間にか耐性がついたからだろう。そういうわけで、自宅で作るモモにもぜひパクチーを使ってみようと思ったのだ。たかだパクチー。されどパクチー。パクチーが食べられるようになるということは、私の世界をほんの少しだけ広げてくれる。
繰り返し触れることで克服できたものがある一方で、しばらく距離を置いていたのにもかかわらず、突然克服できたものもある。数年ぶりにしたスキーがそれだった。8年前に板と靴を買ってから2〜3年は練習に励んでいたものの、なかなか上達せずに足が遠のいていた。私には向いていないのだと決めつけて、もう使わないのなら板も靴も売ってしまおうかとさえ思っていた。けれど、転機は突然訪れた。年明けにニセコに行く機会があったので、久々に滑ってみると、「スキーってこんなに楽しかった?」と思うくらいに爽快で気持ちがよかったのだ。それは北海道のさらさらパウダースノーのおかげでもあるが、ただただ風を切って滑走する感覚を純粋に楽しめたからなのだと思う。大寒波で吹雪くスキー場で、私は繰り返しリフトに乗っては、嬉々として斜面を滑り降りた。
私はふと思った。それならば、過去に一度離れてしまったものも今なら楽しめるかもしれない。激流で怖い思いをしたカヤックや、楽しみを見出せなかったクライミングも、「向いていない」のではなく「そのときではなかった」だけなのかもしれないと。もう一生やるもんかと頑なにならずに、いつかそのときが来たら、新しい気持ちで取り組んでみたらいい。それはきっと、自分の世界を広げるきっかけになるはずだから。
自宅で作ってみたモモは、本場の味にはほど遠かった。既製の餃子の皮で作るには限界があるようだし、やはり現地で食べることこそが美味しさの鍵なのだと気づいてしまった。
わたしの素
「秋のネパール旅日記」でも記した旅の、最終日。カトマンズのタメルに滞在していた私は、すでに日本へ送る荷物の発送も済ませ、のんびりと過ごそうと決めていた。いつもどおり朝食を取り、パッキングを済ませてチェックアウトをしてから、街を散歩したり、日記を書くなどして過ごした。
夕方には、ネパールに住む友人と少しのあいだだけ会えることになった。タメルの奥の方にあるカフェで待ち合わせをして、チキンモモをひとつ頼んでシェアして食べた。「ここのモモはすごく美味しいんですよ」という彼の言葉のとおり、これまで食べてきたモモの中で、いちばんジューシーで好みの味だった。もちろんパクチーも入っている。唐辛子の入った辛いソースをたっぷりつけて食べていく。これが今回の旅の最後の食事なのだと思うと、胸がいっぱいになった。
それからしばらく話したあと、友人は別れ際に「カタ」と呼ばれるスカーフを鞄から取り出した。ネパールでは旅立つ人の首にカタをかけて見送る風習があって、私はこれで何度か泣いたことがある。カタを首にかけてもらうことは、旅の終わりを意味するからだ。カフェのスタッフが気を利かせて、カタを首にかけるところを動画に撮ってくれると言うので、私は少し安心した。撮られているときには泣くはずがないと思ったからだ。けれど、いざカタをかけてもらった瞬間、反射的に、やはりどうしても涙が溢れて抑えられなくなり、友人を困らせてしまったのだった。
連載
山と感覚の扉
山岳収集家
鈴木優香
山は日常にはない美しい瞬間を与えてくれる場所と語る鈴木優香さんと、彼女らしさの素をつくる山登りとともにある食事。