「今日もていねいに。」
扉の向こうのおいしさ
エッセイスト
松浦弥太郎
パリに着くと、歩く速度がゆっくりになることに気がつく。
どこかに行こうとする気持ちよりも、歩いたことのない路地に迷い込む楽しさを知っているからかもしれない。そして、石畳を踏みしめながら歩いていると、ふと視線が止まるときがある。それは店の看板などではなく人が住む家の扉だ。
ずっと感じていたことがある。
それはパリの家の扉には、不思議な表情があるということだ。深い緑、くすんだ青、長い年月を経て艶を失った木の色。取っ手は長年による人の手で磨かれ、郵便受けの縁は少し歪んでいる。けれども、どの扉もどこか誇らしげでうつくしく、パリという街の暮らしを感じさせている。

もうひとつ感じること。それは、そんなうつくしい扉の先には、家のおいしい料理があるということ。旅を重ねるうちに、いつしかぼくはそう思うようになった。いや、そう勝手に想像するようになった。

いわば扉は、外と内を分ける境界線のようなもの。けれど同時に、その奥にある暮らしを、静かに想像させる装置でもある。この扉の向こうでは、今どんな匂いがしているのだろう。大きな鍋の中でスープが温め直され、バターが溶け、玉ねぎがゆっくり色づいているかもしれない、というように。
いつも思うのだが、パリの朝は音がやさしい。パン屋から漂う焼きたての香り。通りを掃く箒の音。どこかの家の窓から聞こえる、皿が触れ合うかすかな音。ラジオから流れるフランス語のニュース。そのときもまた、その家の料理はどんなのだろうと思う自分がいる。

ある日、宿近くのモンマルトルの坂道で、淡いブルーの扉の前に立ち止まった。午後の光を受けて、塗装は少し剥げていたが、その佇まいは穏やかだった。その奥で、きっと誰かがごはんの支度をしている。フライパンで野菜を炒め、塩をひとつまみ。味を確かめて、ほんの少しだけスパイスを足す。そんな光景がふわりと浮かんできた。
旅先で食べる料理は好きだ。けれども、心を惹かれるのは、お店では食べられない家庭の味だ。誰かが誰かのために、当たり前のように作る、名前なんて無い料理。特別ではないけれど、毎日の暮らしを支えるいつもの味。
家の料理には、その家ならではの愛情が染み込んでいる。急がない火加減。季節に合わせて選んだ野菜。忙しいから「今日はこれでいいか」と思える気負いのなさもおいしさのひとつだ。

旅先で、いいなあと思う扉の前に立つと、そうした時間というか暮らしの気配が、かすかに伝わってくる。その先にはキッチンがあり、その湯気の向こうにあたたかい人の暮らしが見えるような気がしてならない。

そうして旅から戻り、自分の台所に立つ。サンドイッチを作り、野菜を切ってサラダを皿に盛る。それだけのことなのに、ふとパリで見たあの扉を思い出す。


うつくしい扉の先には、おいしい家庭料理がある。そう思えるようになってから、
旅も、日々の食卓も、少しだけつながった気がしている。
なんだか、いいなと思う。
わたしの素

りんごやみかん、パイナップル、キゥイなど、家にフルーツがたくさんあるときは、フルーツのマリネを作る。水、砂糖、はちみつ、レモン汁や少々のラム酒(白ワインもおいしい)で作ったマリネ液に、食べやすい大きさに切ったフルーツを、冷蔵庫で2時間ほど漬けるだけ。甘くておいしい風味によって、いつもよりたくさんフルーツが食べられるのがいい。3日くらいは日持ちするので、デザートや料理のちょっとした添え物としても便利。ヨーグルトやアイスにも合う。時間が経つと食感や味わいが変わっていくのも楽しみのひとつです。わが家ではしょっちゅう作って食べている。マリネ液レシピは、いろいろと試してみて好みを見つけるのも楽しい。
連載
「今日もていねいに。」の扉
エッセイスト
松浦弥太郎
少しちからをぬき、キホンを大切にする松浦弥太郎さんと、彼ならではの素をつくる、くらしと食事。