「今日もていねいに。」
「グラノーラの旅」
エッセイスト
松浦弥太郎
アメリカで覚えたことがふたつある。
ひとつはデンタルフロス。こう言うといつも笑われる。
デンタルフロスといえば、中学生の頃、有楽町にある「アメリカンファーマシー」という日本に暮らす外国人を客とするドラッグストアを思い出す。
その店には薬だけでなく、アメリカで売っている洗剤や石鹸といった生活雑貨や、スキンケアグッズが棚に並び、もちろんデンタルフロスも売っていて、興味本位で一度だけ買ってみたけれど、使い方がまったくわからず、無駄にしてしまった経験があった。
ちなみに他に買っていたのは、一滴で目の充血が解消するVisineという目薬とか、GUMという持ち手の先に尖ったゴムがついた歯ブラシとか、片岡義男さんが雑誌で紹介していたWitch hazelという化粧水だ。とにかく店に入ると英語が飛び交っていて、日本にいながらして外国気分を味わえるお気に入りの店だった。

そんな記憶をそっと携えていた二十歳の頃、ニューヨークの友人セスに、デンタルフロスの使い方をはじめて教わった。
適当な長さにフロスを切ったら、結んで輪を作り、両手の人差し指に巻きつけて、歯の隙間にピンと張ったフロスを入れて動かす。なるほどと思って何度かやってみると、口の中がすっきりするから癖になった。フロスはストロベリーやミントなどいろいろなフレーバーがあり、ぼくは甘いチェリーが好きだった。
さて、もうひとつはグラノーラのおいしさだ。ある日、デンタルフロスの使い方を教えてくれたセスに誘われ、フィラデルフィアの彼の実家に泊まりに行った。

朝食時、セスは「うちのお母さんのグラノーラは最高においしいんだ」と言って、大きなガラス瓶に入ったグラノーラを、スプーンでボウルによそって、「ミルクがいい?それともヨーグルト?」とぼくに聞いた。その時見せた、セスの得意げな顔が忘れられない。
「ぼくはミルクがおすすめだけど」と言うので、よくわからずに「じゃあ、ミルクで」と答えると、グラノーラにナッツとドライフルーツをトッピングしてから、ミルクをたっぷりとかけた。グラノーラとはコーンフレークのことかと思った。
「すぐに食べてもいいし、やわらかくなるまで待って食べてもいい。ちなみにニューヨーク・タイムズに載っていたグラノーラ好きへのアンケート結果によると、やわらかくなるまで待って食べる人が圧倒的に多いらしい。ちなみに、ぼくは待たずにサクサクのうちに食べるのが好きなんだ」と、セスは満面の笑顔で言った。
そんなふうにして、彼のお母さんが作ったグラノーラをひと口食べた時、そのあまりのおいしさに、今まで自分が日本で食べていたコーンフレークは一体何だったんだ、と衝撃を受けた。
ほのかに甘くて、サクサクで香ばしく、噛めば噛むほどに味わいが楽しめて、しかもグラノーラからにじみ出た甘くてスパイシーなうま味と、ナッツやドライフルーツの風味がミルクに混ざって一体化したそのおいしさといったら、この世にこんなにおいしい食べ物があるのか、という驚きでしかなかった。

ぼくが「おいしい!」と言うと、「毎日自分の好みでいろいろな食べ方をするんだ。フレッシュなフルーツを刻んで入れたり、シナモンやはちみつをかけたりとね。合わせるのも、ミルクにヨーグルト、アイスクリームとか、温かいミルクもおいしいんだ」とセスは言った。
ぼくはこんな感じでグラノーラと出会い、一気にグラノーラかぶれとなった。
旅すればその土地のカフェでグラノーラを食べたり、手作りのグラノーラを買ってみたりと、自分なりのグラノーラ探しがはじまった。アメリカではどこの街に行ってもグラノーラはあった。そしてひとつひとつ違った工夫と個性があり、どれもがおいしかった。

あるときは、パリにはどんなグラノーラがあるのかを調べに出かけたこともある。パリのグラノーラは、どちらかといえば朝食というよりおやつに近く、しっかり甘くて、それはそれで実においしかった。エスプレッソと一緒にほろほろとほぐれるバターリッチな風味は、アメリカの素朴なそれとはまた違い、ちょっと洒落ていた。
そうして気がつけば、ぼくのグラノーラ旅はすっかり生活の一部になり、アメリカだけでなくカナダ、フランスやイギリス、オーストラリアなどのグラノーラを食べ歩き、ついには「自分好みのグラノーラを作りたい」という目標にたどり着いていた。
そう思い始めたのは、ある休日の朝だった。近所のベーカリーで買ってきたパンをかじりながら、ふとセスが瓶に入ったグラノーラをボウルに移す仕草を思い出した。あの時の、あの誇らしげな顔。ぼくも、あんなふうに誰かの朝を少しだけしあわせにできるようなグラノーラを作れたら、と思った。
それからというもの、週末になれば朝早くからオーブンを温め、様々なオーツ麦を取り寄せ、ナッツを吟味し、あれこれと油の量を調整し、甘さを砂糖からはちみつへ、はちみつからメープルへ、そしてメープルからてんさい糖にと工夫を繰り返した。オーブンの少しの時間の違いで、黄金色が焦げ茶色になり、香ばしさが苦味に変わる。そんなグラノーラ作りに挑んだ。あらゆる料理本を集めて作り方を試し、失敗をいくつ繰り返したかわからない。とにかく、いろいろなグラノーラを作りまくった。

それでも不思議と飽きなかった。焼けてくると部屋中に広がる甘い香り。天板からこぼれ落ちるザクザクという心地よい音。冷めていく間にほんのりと固まっていく手ごたえ。それは、子どもの頃に砂場で夢中になって山をつくっていたような、そんな自由で創造的な時間だったからだ。
さておき、3年、5年、10年と経ったある日、とうとう「できたかも」と思えるレシピにたどり着いた。グラノーラのおいしさは、見た目やトッピング、味つけではなく、オーツ麦そのもののおいしさであると気づいたことがヒントになった。オーツ麦をいかにおいしく食べるか。食感と香り、味わいに集中をしてレシピを書き直した。

オーツ麦は上質で大粒を選び、有機のアーモンドはていねいにキャラメリゼする。油はココナッツオイルを控えめに使い、甘味は後味の良いてんさい糖を選んだ。ほんの気持ち程度にシナモンを添えると、ひと口目の印象がふわっと華やかになる。なるほど、こうすればオーツ麦の食感は他のどんなグラノーラにも負けないサクサク感になる。焼き加減や、途中で混ぜる手間もおいしさにつながることがわかった。
初めてそのグラノーラを瓶に詰めたとき、うれしくて思わず写真を撮った。セスのお母さんが使っていたような、台所の光をやわらかく反射する分厚いガラス瓶。ぼくの“おいしいグラノーラ”は、そこにしっかり収まった。
嬉しさ余って、出来上がったグラノーラを友人におすそわけしてみると、思いがけず喜ばれた。

「こんなの売ってたら買うよ」
「朝がちょっと楽しくなった」
「子どもが気に入って毎日食べてる」
そんな声をもらうたびに、胸の奥がぽっとあたたかくなる。気がつけば、ぼくはまたノートを開き、レシピを見つめてこう思った。もっとおいしいグラノーラを作ろう、と。
この日からヤタロウズグラノーラの物語がはじまった。
わたしの素
冷蔵庫の野菜を使い切るための料理のひとつ。毎日食べてもいいくらいにおいしいチヂミは得意料理のひとつ。キャベツ、ニラ、もやし、玉ねぎ、ピーマンなどなんでもいい。細切りして、たまご、小麦粉、片栗粉を混ぜたところにざっくりと加えて、ごま油で両面を焼くだけで出来上がり。ふわっとしたお好み焼きよりも、カリカリなのがチヂミだけど、この野菜たっぷりのチヂミがほんとうに大好き。たまに輪切りした竹輪を入れるけれど、これまたたまらなくおいしい。焼き上がったら適当な大きさに切って、おろし醤油で食べる。残ったらお弁当のおかずにもいい。料理を作るのが面倒なときはだいたいチヂミになる。おなかいっぱい食べても大丈夫。

連載
「今日もていねいに。」の扉
エッセイスト
松浦弥太郎
少しちからをぬき、キホンを大切にする松浦弥太郎さんと、彼ならではの素をつくる、くらしと食事。