詩と余白
吊るされた男と湯呑茶碗
詩人
菅原敏
午後3時。今日の仕事をそれなりに終えて、コーヒーを飲みながら本でも読もうとコートのポケットに財布と本を突っ込んで外へ出る。いつもの緑道を歩きながらマフラーを巻き直す。喫茶店は家から歩いて15分ほど。その並びにある雑居ビルの一階に民芸店のような古道具屋のような佇まいの店が新たにオープンしていた。長らく改修工事をしていたので何ができるのか少し気になっていた。
OPENの札がかかっていたので、薄緑のガラスが数箇所はめ込まれた少し重い木のドアを開ける。からんころんと気持ちの良いドアベルが鳴った。「こんにちは」と挨拶をして、店内に入ったもののそこには誰の姿もなく、返事もなかった。少し外にでも出ているのかなと思い、私は店内を眺めた。グレーのタイルの床、自然光のやわらかな光、壁際の古い什器にはそれぞれ食器が置かれ、中央には大きなテーブルがひとつ、その上にもカトラリーやお皿、ガラス瓶、陶器や土器のかけら、動物たちの置き物、燭台などが置かれている。
並んでいるものたちは一見すると統一感がないように見えるのだが、どことなく落ち着く雰囲気で、私はふと壁際の棚に置かれた湯呑に手を伸ばす。それはもう10年以上も前に私が誕生日にもらった湯呑茶碗とほぼ同じものだった。やや背が高く厚みがあり、薄い土色にやわらかな白の釉薬がかかっている。そのグラデーションが印象的な湯呑だった。同じ作家さんによるものだろう。もう何年も前に割ってしまい、すっかりその存在を忘れていた。その湯呑 をくれた人は誕生日の夜にお祝いをしてくれて、なんだかんだと話をして、私たちは付き合うことになった。そうして彼女が初めてうちに泊まりに来た夜のことだった。真夜中に私は誰かの声で目を覚ました。その声は窓の外から聞こえており、日本語ではなく、よくよく耳を澄ますと「I’m dying! Please Help me!」と叫んでいる。時計を見ると午前3時を回っていた。最初は酔っ払いの悪ふざけかと思っていたが、その叫び声は止むことなく、どんどん語気を強めていた。
「どうしたんだろう。ちょっと見てみようか」隣で目を覚ました彼女と一緒に窓を開けて外を見た。
すると私の住むマンションと隣のマンションの間に生えている大きな木の枝の、まあまあ高いところに外国人の男性がぶら下がっていた。正確には吊るされていたと言った方がいいのだろうか。この部屋はマンションの3階。それとほぼ同じ高さゆえ、落ちたら大変だ。どうやら服が木に引っかかっており、足場となる枝も不安定で身動きが取れないらしい。枝はしなって今にも折れそうだった。隣のマンションのどこかの窓かベランダ、もしくは屋上からその木に飛び降りたのだろうか。それとも木に登って窓から入ろうとしたのだろうか。不謹慎だが男の姿はクリスマスツリーにぶら下がっているオーナメントのように見えた。木の周りにはすでに人だかりができており、遠くからサイレンの音が近づいている。
「あと少しだ」「頑張れ!」と周りの人たちが声をかけている。英語で励ましている人もいた。もがくと危険と感じ取ったのか、疲れ果てたのか、男は叫ぶことをやめて顔を歪めながら目を閉じている。消防と救急が駆けつけハシゴが延ばされて、男は何とか地上へと救助された。念の為といった様子で担架に寝かされ、救急車に乗せられて運ばれていった。誕生日の夜に起こった、少し不思議な出来事だった。私と恋人は事の顛末を窓からずっと眺めていたが、どこか現実味のない夢の続きを見ているようだった。部屋の明かりはずっと消したままだった。お互いにあまり多くを話さず「大変だったね」「どうしてこうなったのかしら」と、ひとことふたこと交わして再びベッドに戻って眠った。
彼女にもらった湯呑茶碗のことは大切に使っており、なぜか当時それで私はよくココアを飲んだ。温めた牛乳、ココアの粉末を小さじ2杯。ゆっくりとかき混ぜる。寒い夜や夜通しの仕事の際などにもよく飲んだ。その後、彼女とはあまり長くは続かなかった。のちにどこかの国で通訳をしていると聞いた。しばらくはココアを飲むたびに彼女のこと、そして木にぶら下がっていた男のことを思い出したりしていたが、湯呑が割れてからはめっきり思い出すこともなくなっていた。今この店で不意に手を伸ばした茶碗の手触りが、すっかり忘れていた記憶を蘇らせた。裏底に貼られた値段を見ると、なかなか強気な金額が書かれていた。私はもう一度これを手に入れてココアを飲もうか、それとも過去は過去としてそっとしておくべきか、しばし考えを巡らせながら他の食器や土器のかけらなどを見ていたところ、からんころんとドアのベルが鳴り、やや年齢不詳の男と30歳前後と思しき女性が二人で入ってきた。私が思い巡らせていたその湯呑を手に取って「このカップなんかかわいいね」と女が言う。
「いいね、ひとつしかないみたいだけど買ってあげるよ」と連れの男は言い、ひょいと湯呑茶碗を掴んで、大きな声でドア向こうのバックヤードの方へ「この湯呑もらいますね。お金入れておきます」と言った。すると随分遠くから聞こえるような小さな声で「はーい」と店主らしき男の返事が聞こえた。この狭いビル、バックヤードもさほど広くないはずだが、店主の声はどこか山の向こうにでもいるような、こだまのような響きだった。
男は慣れた手つきで隣に積んであった包装紙でさっと包み、くすんだ銀色の缶の中にお金を入れて、にこやかにドアのベルを鳴らして二人で出ていった。一体どんな仕組みの店なのか私にはさっぱりわからなかった。しばらくぽかんとしていたがのろのろと店を出て、同じ並びにあるいつもの喫茶店に入り、コーヒーではなくココアを頼んだ。「珍しいですね。ココア」と店員さんが言う。今夜、あの湯呑を買っていった男が木の枝に吊るされないことを祈りつつ、私はココアを飲んで本のページを開く。
そしてそのあと少しだけ、昔のことを思い出す。

わたしの素
十二月
遠い国から運ばれてきた
大きな樹に吊るされるのは
決まってこの街の男たちだった
タキシードにエナメルの靴
蝶ネクタイに撫で付けた髪
トナカイのソリに乗せられて
次から次へと首根っこを掴まれて
きらきら木々に飾られて
そのつま先で街の光を反射している
途方もないほど大きな樹なので
高いところの男たちの声は聞こえないが
それなりに地面に近いところでは
ぶつくさと不平を呟くもの
ゆるしを乞うもの
なんとか逃れようと
じたばたもがいているものもいた
赤い実をたくわえた西洋ひいらぎの棘が
ちくちくと男たちの背中や尻を刺すようで
痛い痛いと言っている
街いちばんの高層ビルより背の高い
クリスマスツリーに嘘がきらめいて
とても平和に年末を迎えることになるのだが
毎年クリスマスが終わった後
あの樹とそれを飾ったオーナメントたちは
一体どこに行くのだろうかと
不思議に思っていた男もまた
来年の十二月にエナメルの靴を履く
エッセイ・詩:菅原敏
コラージュアートワーク:花梨(étrenne)
連載
詩と余白の扉
詩人
菅原敏
日常の余白に言葉を重ね、想像の世界をひらく詩人・菅原敏さん。彼のらしさの素をつくる詩と、ともに語られる食事の記憶。