山と感覚
登り、考え、祈ること
山岳収集家
鈴木優香
先日、長野で撮影の仕事があったので、その翌日に御嶽山に登ることにした。御嶽山は古くから信仰の山として知られ、現在も多くの行者の方々が白装束で登拝している。標高は3,067mと高めだが、ロープウェイを使えば5〜6時間で往復できる。遠方での仕事が決まると、その周辺にある山に足を延ばすことが、いつしか楽しみのひとつになった。普段は友人と一緒に登ることが多いが、ひとりで山に向き合う時間もたまにはいい。
撮影があった日の夜は塩尻駅周辺に泊まり、翌朝の電車で木曽福島駅へ。そこからバスとロープウェイを乗り継いで、標高2,100mから歩き始める。気温は23℃くらいだったが、風の吹かない樹林帯は思ったよりも蒸し暑く、滝のように流れてくる汗を拭いながら登っていった。この日は平日で、時間も遅かったせいか、ほとんど人と出会わない。熊鈴の音を響かせながら、心細さを打ち消すように、やや早足で歩いた。道の途中には、真っ赤に色づいたナナカマドの実。まだまだ暑いが、秋の気配を感じて嬉しくなる…はずが、なんだか心が動かない。いつものような、はっとする喜びや、写真に収めたいという情熱が湧いてこない。
実はこの日の朝、ネパールの首都カトマンズで若者を中心とした反政府デモが起こり、多くの死傷者が出たというニュースを目にしたのだった。そこには警察と若者たちが激しく衝突する動画が流れ、緊迫した状況であることがうかがえた。現地に住む友人の投稿のおかげで、デモが起きた経緯を知ることはできたが、今後のことは誰にもわからない。これまでに何度も訪れたネパールは、いったいどうなってしまうのだろう。そんな重苦しい気持ちを抱えたまま山に来たものだから、歩いていても、景色を見ても、そのことばかり考えてしまい、なんだかずっと上の空だった。
山を歩くと思考が整理されて、前向きな気持ちになれると人は言う。もちろん私も、そういう日のほうが圧倒的に多い。けれど、いつでも爽やかで清らかな気持ちでいられるとは限らない。特にひとりで歩いているときには、抱えている感情に向き合う時間が増え、押さえ込んでいた反動で気持ちが溢れてきてしまうこともある。自分ではどうすることもできないことを、ぐるぐると考え続けてしまう。良くも悪くも、山を歩く時間は人を正直にさせるのだ。

樹林帯を抜けると、そこから先は岩が折り重なる見晴らしの良い道に変わる。御嶽山では、2014年に山頂付近で大規模な噴火が起きた。多くの登山者が亡くなり、今でも数名が見つかっていない。それから11年が経った今、噴石によって破壊された石碑や建物は修繕され、山頂の神社へ繋がる長い階段もきれいに整備されたが、今でもこの山に眠っている方々がいると思うと、やりきれない気持ちでいっぱいになった。ネパールで起きた出来事とも重なって、ただただ呆然としてしまう。自分にどうこうできる問題ではないことはわかっている。けれど、何かできることをしたい。では、何ができるのか。それは、ただ静かに登り、考え、祈ることだけ。踏み出す一歩一歩は、祈りの言葉にも成り得るはず。

山頂には予定より早く着いたので、このまま下れば帰りのバスまでは余裕があった。せっかくなら二ノ池のほうまで足を延ばそうかと思ったが、結局やめた。こんな日は、潔く下山したほうがいいような気がしたのだった。それよりも何か食べよう。朝からずっと考えてばかりで、ろくに食べていなかった。急ぎ足で登ったからか、少し頭も痛かった。
わたしの素
下山の途中で9合目にある石室山荘に立ち寄ったのは、「おしるこ」の張り紙が目に留まったからだった。がらがらと引き戸を開けると、そこから向かいの扉まで真っ直ぐに、土間の参道が延びていた。登山者は山荘を利用してもしなくても、ここを通ることになっている。参道の両脇は畳の小上がり。ヘルメットを脱ぎ、バックパックを下ろしてから、窓の明かりが入る場所を選んで腰掛けた。石室山荘のおしるこは、さらさらとしていて甘さは控えめ。やや塩がきいていて、疲れた体に沁み渡る。ふっくらと丸く焼かれた餅ふたつも、あっという間に食べてしまった。最後に熱いほうじ茶を飲み干すと、考えすぎて膨れあがった頭から、ようやく空気が抜けていくような気がした。

ネパールでのデモは一時激化した後、首相の辞任、初の女性首相(暫定)の就任を経て、現在はすっかり日常を取り戻しているとのこと。ネパールの人々の希望に満ちた未来を、心から願っています。
連載
山と感覚の扉
山岳収集家
鈴木優香
山は日常にはない美しい瞬間を与えてくれる場所と語る鈴木優香さんと、彼女らしさの素をつくる山登りとともにある食事。