
映像と記憶
ドラマ制作日誌 ④ 島根の山の神

ドラマプロデューサー
佐野亜裕美
永遠に夏が続くように思われたこの8月の終わりに島根に行った。
島根県の西部、石見地方にある浜田市は、2016年以来私にとっては第二の故郷のような町だ。この町に『エルピス』の脚本を書いた渡辺あやさんが住んでいて、18歳で上京してから今までの間に地元静岡に帰省した回数よりも確実に多く、あやさんに会うために浜田に通っている。浜田の景色に再会するとなんだか懐かしい気持ちにさえなってしまう、私にとって大切な町だ。

2022年10月に『エルピス』を放送して以降、また一緒にドラマを作ることができたら、と何度かあやさんと企画開発にトライしたものの、主に、というかほとんど全て私の未熟さや至らなさが原因でうまくいかず、その道は一度途絶えてしまった。でも出産を控えていたこともあり、今はそういう時期なのかもしれない、そういうことが必要な時間なのかもしれない、とも思えて、メールや手紙のやり取りは少しずつ続けながら、いつも心のどこかで「いつかのドラマ」のことをうっすらと考えながら過ごしていた。
無事出産を終えて育児がはじまって、あやさんに娘に会ってやってほしいなあと思い、今年の春先に家族で島根に行った。久しぶりに会ったあやさんはなんだか神々しさが増していて、会えたのが嬉しくて、眠ってしまった1歳の娘を抱っこしながら時間いっぱいいろいろな話をした。東京に戻ってすぐに「もう一度あやさんとドラマが作りたいです」というメールを送った。ずっと送りたかったけど送れなかったメールを。そしてリスタートの最初の打ち合わせのつもりで浜田を訪れたのが今回の旅。

石見空港でレンタカーを借りて約1時間。しばらく山の中を走ると海沿いに出て、浜田には珍しく、抜けるような青空と海が眩しい日だった。
11時過ぎに集合してあやさんが予約してくれた素敵なレストランでご飯を食べ、移動してコーヒーを飲み、また移動してお茶を飲んでお菓子を食べ、また移動してご飯を食べ、23時に別れるまで、二人でたくさん話をした。今気になっている社会の問題、この前の選挙のこと、母を亡くしたこと、最近周りで起こった小さな事件のこと。今回はもう一つ別の目的もあったし、結局打ち合わせらしい打ち合わせにはならなかったけれど、二人の現在地を知ることはできた、という気持ちだった。母を亡くして以来しばらく不眠が続いていたが、この日はホテルに戻って顔も洗わずそのまま倒れるように眠りに落ちた。あやさんと会う前日は緊張していつもうまく眠れないが、会った後は毎回こんなふうに死んだように眠ってしまう。

朝は5時に目が覚めて、早めにホテルをチェックアウトして空港に戻る道すがら温泉に寄った。この地域にはたくさんの温泉があって、どこも素晴らしい泉質で大好きなところばかり。朝一番で貸し切り状態の温泉に入りながら、昨日あやさんと話したことを思い返す。具体的な話がどうだったかということももちろんのこと、話をしたときの空気や温度がちゃんと心や身体に刻まれていることを確認する。
ちょっと気持ちの悪い言い方になるが誤解を恐れずに言語化してみると、渡辺あやさんという人は私にとって母のようであり姉のようであり、大変失礼だが時に親友のようであり妹のようであり、遠い国にいる神様のように感じることもある。もちろん崇拝しているとか妄信しているとかではないし、意見が衝突したことも、決してこの部分はわかり合えないと思ったこともきっとあったと思う。それでも、浜田という場所であやさんと会うと、いつも『もののけ姫』のことを思い出す。生命力に溢れた緑を背景にしたあやさんは、山の神という言葉が本当にぴったりなのだ。山の神に会いにきているんだな、と思う。
帰宅してからはこの日考えたことや話したことは一度頭の中の箱にしまって、また目の前のドラマ作りに戻る。何一つ決まったことはなくても、「いつかのドラマ」に向かって歩き出すためのエネルギーを心も身体も受け取ったようには思える。
わたしの素
今回初めて伺った江津市にあるトラットリアキツツキというイタリア料理屋さんで食べたお昼ご飯が素晴らしく美味しかった。美味しすぎてあっという間に食べてしまい、写真の一枚も残していないことをこの文を書き出したところで深く反省した。ほぼ全てのメニューに地元の食材を使われていて、島根という土地の豊かさを改めて教えてくれるお店だった。近くに行く予定のある方はぜひ行ってみてほしい。
そういえば島根で温泉に行ったときに必ず飲む瓶の牛乳があって、それもやはり東京で買って飲む牛乳とはひと味違う感じがする。
豊かで美しい自然と素晴らしい海や山の恵み、そして山の神。何度訪れてもまたすぐに会いにいきたくなる、私の第二の故郷が浜田だ。

連載
映像と記憶の扉

ドラマプロデューサー
佐野亜裕美
社会を観測し自分の目線を大切にしている佐野さんと仕事の仲間の素となった、映像 とともにある食事。