「朝ごはんを大切にする」
毎年、新年を迎えて、心に思うこの言葉。いや、立ち返ると言うほうが正しいかもしれない。30年ずっと同じ新年の思いだ。
できないときもあるし、うっかり忘れてしまうときもあるけれど、できるだけ朝ごはんを大切にする。おいしく、笑顔で、からだを思いやり、ありがとうと感謝する。一生懸命に。一年いちねん、そういう自分でいたいと思っている。
いつものように仕事をしていても、どこかに旅をしていても、誰かと一緒にいても、毎日、夜、寝る前に、明日の朝ごはんをどうするかを考える。なんでもいいとは思わない。そのために、朝、何かを始める前の時間を作って、朝ごはんの準備を考える。もちろん、朝ごはんを楽しむための時間も作る。30分でもいい。そういう習慣を身につける。
こう考えるようになったのは、ニューヨークで出会ったKさんのおかげだ。
「朝ごはんを大切にする。たったこれだけで人生が変わるわよ。ほんとうよ」
朝ごはんを食べたり、食べなかったりしていたぼくにKさんはこう言った。あてもなくアメリカに来ていたぼくにこの言葉は響いた。
Kさんは毎朝、ぼくを自分のアパートに呼んで、朝ごはんを食べさせてくれた。にこにこと微笑みながら、人生に必要なたくさんのことを教えてくれた。
「毎朝、9時にアパートにいらっしゃい。来れない時は前の晩に電話しなさいね」
Kさんのアパートは、自分のアパートから歩いて5分。8時半に起きても間に合う距離だ。なんてことない。行けばいいとぼくは軽く考えた。
Kさんのアパートは、窓から朝の陽射しがきらきらと入る気持ちのよい空間だった。「おはよう!どう?元気?」とKさんは笑顔でぼくを迎えてくれた。朝ごはんは野菜がたっぷりと入ったお味噌汁と梅干しを添えた塩おにぎりがふたつ。お味噌汁からはふわふわと湯気が上がって、味噌のおいしそうな香りが漂っていた。
「さあ、いただきましょう」とKさんは言って、お味噌汁に箸をつけた。アメリカでお味噌汁がいただけるなんてとぼくは感激だった。具にしたほうれん草、キャベツ、たまねぎのどれもが甘くておいしかった。聞くと、味噌は日本から送ってもらっているそうだ。塩おにぎりは小さめにふわっと握られていて、種を抜いた梅干しがたまらなく心にしみるおいしさだった。ぼくは何度もおいしいを繰り返し言って食べた。「おいしいでしょ。おいしいとね、たくさん食べなくても満足できるのよ。おいしいとゆっくり食べたくなる。結果、太らないし、健康になる」とKさんは言った。窓から見えるニューヨークの景色を眺めながら、おいしい朝食をいただくおだやかなしあわせがあった。「朝ごはんを大切にしましょうね。そういうしあわせを習慣にして身につけることね」とKさんは言い、「今日もがんばりましょうね」とぼくの肩を手でさすってくれた。
朝ごはんを食べ終え、「ごちそうさまでした」と言うと、「あなたにひとつ注意したいことがあるわ」とKさんは言った。「お互い朝のマナーを守りましょうね。それは、きちんとシャワーを浴びて、身だしなみを整えて、きれいでさっぱりとした自分でいることよ。起きたままの寝ぼけまなこで人と会うのはマナー違反。わたしはあなたに会うからおしゃれをするのよ。あなたに喜んでもらいたいから。それなのに今日のあなたはどう?」とぼくに聞いた。
朝起きて、シャワーも浴びず、寝癖のついた髪のまま服を着ていたぼくは自分が恥ずかしくなった。「どんなに親しい人であっても、朝は身だしなみをきちんと整えて顔をあわせること。一人であっても朝ごはんを大切にするということは、朝の身支度をきちんとすることでもあるのよ。ただおいしいごはんを用意すればいいってことではないの」。Kさんの言葉はもっともだと思った。「朝ごはんを大切にする」この意味は単に食事のことだけではないと、このときぼくは学んだ。
「明日またいらっしゃい」とKさんはにっこりと笑って、ぼくをぎゅっとハグをした。道に出たぼくは雲ひとつない青い空を見上げた。今日の朝ごはんは自分の人生を変えてくれる朝ごはんだと思った。この日からぼくは、朝ごはんをもっと大切にしようと心に誓った。
わたしの素
朝ごはんのレパートリーに、台湾料理の定番である魯肉飯がある。豚バラ肉を、しょうがとにんにく、八角で炒めて、甘辛いオイスターソースといった調味料を加えて煮込んで作る、いわば煮込み豚肉のっけご飯である。煮込んだ具をたくさん作っておくと重宝する。もちろんゆで卵を添えて食べる。朝、魯肉飯を食べるとなんだか元気が出る。おかわりをしたくても一杯を大切に食べるのがいい。湯通しした青菜なんかがあると嬉しい。
台湾に行くと必ず朝食に食べに行くのは、重慶北路二段の南京西路の交差点近くにある「三号元」という魯肉飯屋だ。この店の魯肉飯は100年の歴史があるらしい。さっぱりとした大根のスープと一緒に食べるのが大好きだ。